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こどもとしごと

今回は子供と仕事について書いてみようと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、私には子供が2人おります。

高一の娘と中一の息子です。2人ともオーストラリアで産まれております。

もともと私たちは地元浜松の隣町の同級生同士で結婚した2人でしたので、当初は自分がオーストラリアに行くとも思っていませんでしたし‘、それに加え母親になるとも全く想像しておりませんでしたし、家庭を築く夢を持っているわけでもありませんでした。

子供の件に関しては全く未来が見えないので犬でも飼ってそれでいいかなくらいに考えておりました。

それが人生の悪戯でオーストラリアへ旦那と移住が決定、その後1年で妊娠発覚。しかし、実は妊娠に関しては実は計画的でした。

日本に住んでいる時には子供も持つことに色々疑問を持っていたのですが、オーストラリアに住み始めた頃から「ここで産みたい、子供を育てたい」と思い始めている自分がいたのです。これはかなりの変化でした。

理由は色々あるのですが、ざっくり言うと、「子連れ母さんがレストランやら街やらどこでも出かけててすごく幸せそう」「知らん人でも赤ちゃん連れてるとすぐさまみんな助けてくれる」「ギャーギャーしてても笑顔の視線しか受けない」雰囲気と言いますか、世界と言いますか。

お母さんが生き生きしてるように見えたんですね。電車に老人や障害者が乗ってきたら椅子取りゲームならぬ 我先にと席を譲ろうとする椅子譲りゲーム。

困っている人がいたら誰でも手を差し伸べるのが当たり前の雰囲気のメルボルン。こんな場所で子供を育てたらどうなるのかなぁ、と思い始めている自分・・

んで旦那と相談で順調に妊娠、出産という運びとなりました。‘

そこまでは順調でしたが、出産手続き病院手続きから色々、オーストラリアでの生きるノウハウもままならない状況からのスタートでまぁ色々大変でしたがその件についてはまたいつか話します。

で、先に娘が産まれたのですが、この子がなかなか幼少期大変なお子で、とてもいろんなことに過敏でいらっしゃって人一倍の恥ずかしがり屋でした。スーパーに行って知らない人に微笑んで話しかけられたらギャン泣き、買い物なんてできやしない。

公園で枯葉が風に揺られて動いたらギャン泣き、知らない人と目があったらギャン泣き。私から1歩も離れられず、家から出られず、旦那に預けることもできず、1人の時間も皆無でした。お誕生会に招かれて行っても、知らない人がいると泣くので私1人レストランの外で娘を抱っこして佇む・・。マッチ売りの少女のようにレストランの外側から子供抱いて楽しそうなみんなを眺めて、いったいここに何しに来たんだ状態でした。その後3年後息子も産まれ、両親の助けもないのでそりゃまぁ大変大変。赤子の乳と糞にまみれて髪はボサボサ、着ているものはいつも乳で汚れてるTシャツ。

その頃、日本に住んでいた頃仲良くしていただいていた着物友達はどんどんスターの道を駆け上がり、フェイスブック越しに遠いキラキラしたお星様みたいにすごいなぁと眺めておりました。

自分の姿と比べてその華やかな世界を見ると自分何やってるんだろう・・

この地で何にも仕事のキャリアもないし・・毎日こんなドロドロでおしゃれのおの字もなく大好きな着物も着られず家事と育児で疲れてて・・と思うことも正直ありました。

その頃、一度友人の誘いで日本食レストランで夜働くことになったのですが、

まぁ娘が大変でバイトが入っている日は朝から「今日はマミーが行っちゃう日」と言いながら1日中ギャン泣き、旦那もほとほと困り果てて、バイトから帰ると娘は泣きつかれ、旦那は疲労困憊不機嫌で家の雰囲気は最悪。

もうその辺でこりゃダメだと辞めました。

で、ちょっとこのへんで考え方を変えてみたんですね。

産みたいと思ったのも自分、育てたいと思ったのも自分。全て自分から選んだ事、今すぐ働かなくてキャリアを積んでいく可能性はどんどん低くなるけど0%にはならない。

でも今のこの幼い時の子供たちの笑顔を見られる可能性は将来0%になる。

だったら中途半端に仕事だのキャリアだの思わずに、どうせ学校入ったら離れちゃうんだから、それまではとことん100%育児に真っ正面から付き合ってもいいんでないの?

人生80年だとしたら娘と息子の年齢差は3歳で、息子が小学校に行くのは5歳からだったら3+5の8年間、人生の10分の1、「母の愛とは何か」「何も相手に期待せずただ捧げる愛について」

をじっくり学ぶ修行だと思って愛について本気で取り組んでみる時間としてもいいのではないか?

幸いオーストラリアは子育て中の母には優しい政治の仕組みになっており、小さな子供がいれば飢え死にさせるような事はないだろうし、もう自分の事は後にしてこの8年間は修行としよう。

腹をくくりました。

その辺からまぁ大変ではあったけど気持ち的にはグジグジしなくなりました。

その頃、色々家庭の事情で経済的にもかなり大変で親にもめちゃくちゃ心配されましたが、まぁなんとかなるもんですね。笑

そこからまた数年経って、息子が幼稚園に入るころから、着物が着せられるのなら着付けお願いできるかしら?と知人に頼まれるようになり、小さいのがいるからそれでもいい方でしたらと了承を得てちょこちょこと自宅で着付けを始めました。その頃は独学で振袖着付けとふくら雀くらいまではできるレベルでしたのでまぁ普通の着付けはなんとか大丈夫ってな感じでスタートしたのですが、やり始めると面白くなってきて、もっとやりたくなって来てしまって「本格的に花嫁着付けまでできるようになりたい」と思い始めるようになり、日本に帰国の際に短期で着付けを教えていただける場所を探しまくりました。

その後、本当にラッキーな事に友人の紹介で地元で「子供連れて習いに来てもいいよ」と言っていただける方に出会い、子供をわらわら畳で遊ばせながら、マンツーマンで教えていただき花嫁衣装までなんとか2ヶ月で習得。

下の息子が小学校に入るまで悔いのないよう子育てを100%にする。という自分の中の決まりを作っていたので、晴れて息子が小学校に入学したその月にビジネス登録をしました。

小学校に入ったら育児は終わりか、と言ったら全然そんなことはないですが、それでも9時から3時半までフリーの時間が持てることやお友達との世界が広がって段々と私の元から離れていくことで時間の余裕ができました。

あんなに私の元から離れられなかった娘も小学2年生くらいから段々と変化が生まれ、シャイではありながらも1人で行動できる範囲がかなり大きくなりました。

そこからフォトグラファーのりなさんと出会い、七五三撮影企画など段々と着物スタイリストのお仕事をいただけるようになり現在に至ります。

大きかったのは、今まで近所のママ友だけだった世界がいきなり仕事という関係で子供の関係抜きで交際関係がビックバンのように広がって行ったこと。オーストラリア入国1年目で妊娠だったので、メルボルンのことも全く知らず、そこから8年間近所のスーパーと公園の周りしかウロウロしてなかったのですが、シティにはおしゃれなカフェがいっぱいある事、メルボルン北部にはファッショナブルな服屋さんがたくさんある事、メルボルン10年目くらいでやっと知りました。もともと自分の事を話すのは基本苦手ですが、私の仕事を知って信頼してくれ、いろんな新しい着物の仕事の相談も受けるようになりました。ほんとにありがたいです。

どうしても仕事で子供達の面倒が見れない時には旦那やママ友が沢山助けてすれました。

今となってはあんなに心配した娘も勝手に友達とどっか行っちゃうし、私より自立してるし、過ぎてみればあんなに悩んだのなんだったんだ・・という感じです。

あんなにたまひよ雑誌に穴か開くほど熟読し、小さいことでいちいち心配してた出来事も何年か過ぎてみれば「何かあったっけ?」程度の鼻くそみたいな事でした。

でもあの頃の自分に言いたいのは「あんた、あの時腹くくって子育てに全力を注いでおいてよかったね」って事です。

確かになんの着物キャリアもないとこから着物ビジネスをスタートしたのは39歳。海外で着物ビジネスやってる人なんて全然見つからないし、全てが手探り。それでもなんとか細々と食べていけるまでにはなりました。やっぱりキャリアの可能性は0%にはなってなかったと自分自身に証明できました。そして育児をやり切った悔いのない気持ちもあります。

まぁ人それぞれなので、産んですぐ仕事した方がハッピーの人もいるし、これは個人差ですので、人にもこうしろって感じではないです。

現在の自分はと言ったら多分今は私が一番自立していなくて、仕事終わったら早く家に帰って子供達に構ってもらいたいし、泊まりの出張がある日は夜は家族がいなくて寂しすぎて全然寝られないし、とにかく子供達に構って欲しくて色々ちょっかい出してる母です。笑

まだまだ母としての仕事は沢山残っておりますが、子供達も積極的に助けてくれる年になり、この地で出産し子育てを選択した事に1ミリの後悔もありません。そしてそうする事を承諾して協力し続けてくれている旦那さんにも感謝‘です。

来月には結婚20周年。これからの岡部家はどう変化していくのか?

いつもワクワクしております。

着物スタイリストとして海外で仕事をスタートした最初の1歩

先日はビクトリア州ロックダウン緩和から、久しぶりに友人のフォトグラファーに誘われて作品撮りをしてきました。2ヶ月以上家に引こもっていまして、ステイホームが楽しくて楽しくて仕方ない状態にまでなって来てしまって、

「このまま自分どうなっちゃうのかな?」とふんわり思っていましたが、案外あまりにもあっさりと前のワクワクした感覚で作業が出来た事が何かちょっと嬉しかったりもしました。

さて、今日は私がオーストラリアで着物スタイリストとして仕事しようと決心してからどうやって自分のキャリアを0からステップアップして行ったかと言う事を少しお話ししたいと思います。(と言ってもまだそれほどステップもアップしてないが)

約6年前、自分は着物スタイリストでやって行こう!と決心しましたが、やはり日本のような着付けと言う文化がない分着物と言うものがどういうものか、着物スタイリストと言うものが何なのか?と言う事を全く分かってもらえて無いところからのスタートになります。

着物と言うものすらよく分からない人々が大半の中で自分のオリジナリティーを出しながらどういう風に着物スタイリストというもの認知してもらうのかな?そっからスタートです。

まずは「ビジュアルにうったえてなんぼや!」てな感じで写真の作品が1番わかりやすいかと思い、そっちが何とかならないかな?と考えてみる事にしました。

と言ってもフォトグラファーさんの知り合いなどいないし、右も左も全然何もわからない時点で、何のコネクションもないままゼロからのスタートです。 こちらで着物着付けの資格を持っていても全く役に立ちません。

何しろ着物の資格と言うものがどういうものか、それ分かる人すらいないし、着物を自分で着るとか着ないとか、着せてもらう衣服が存在するか、まずそういう事がよくわからない次元からのスタートになります。0というよりマイナス20くらいからのスタートです。 でもなんとかしてアピールしなければなりません。

写真を撮ってもらうにはまず作品撮りと言う形から入ります。作品撮りとは自分達の制作作品としてPRすることを目的として行う撮影の事です。

まず何かしらの作品撮りに参加させていただきます。私がスタイリストの場合はスタイリストとして仕事をします。そしてその関わった写真作品が私のスタイリスト作品としてフォトグラファーさんからいただけます。 それを何回か繰り返し出来た作品を自分のポートフォリオを作るために貯めていきます。ポートフォリオとはいわゆる自分の作品集みたいなもので、自分はこんな仕事が出来ます!とビジュアルで見せる履歴書です。

沢山撮影をして、自分の写真作品をどんどん貯めて行ってポートフォリオを作ります。そのポートフォリオを見てもらうことで自分の仕事を認知してもらうと言うのがこちらの一般的なやり方なんではないかと思います。

私はどこかに就職試験を受けに行ったわけではないですが、インスタグラムが自分のポートフォリオという感じになってます。 

こちらではクリエイター系は何かの仕事の話になると「What’s your Instagram?」とよく聞かれます。 インスタグラムの投稿=この人の世界感という事で、その自分のインスタアカウントの投稿が魅力的だと撮影にこぎつけたり、仕事のお誘いがかかったりするので、かなりインスタグラムは重要です。 

ここで自分のインスタの写真が最近食べて美味しかったおやつや家族旅行の思い出など、あまりに個人的な写真ばかりだと相手に強いインプレッションが与えられないので、インスタアカウントはプライベート用と仕事用と分けておくのがおすすめです。

んで、作品撮りの話に戻ります。

さて作品撮りやりたい! でも全くコネクションがない!てな状態での海外でいきなり一緒にやってくれるフォトグラファーさんやモデルさんを見つけるのは至難の技です。ましてや金が無い下積み時代。いちいち作品撮りのためにこれらにお支払いしていたら破産してしまいます。

そんな方達はTFPと言う言葉を覚えておいてください。TFPとはTrade For Print の略、モデルとフォトグラファーさんの最初のお約束といいますか私はただで写真を撮ってあげるから代わりにモデルをしてくれる?てなお約束みたいなものです。

フォトグラファーさんモデルさんスタイリストさんヘアメイクさん、みんな学生などキャリアがないうちは、ポートフォリオ作りたいけどモデルを雇ったり、フォトグラファーさんを雇ったり、お金がかかる事はなかなかできません。なのでお互いの自分のできるスキルを出し合い完成した写真をみんなでシェアすると言うシステムで、それぞれの才能を持った人たちが集まって無償で作品撮りをすると言うのがこのTFPになります。これが最初のポートフォリオ作るスタートになるかと思います。私はこのコラボレーションのやってくれるフォトグラファーさんを探すのにまずはMelbourne Creative Networkと言うFacebookページから頑張って探しました。

そこで自分に合った作品撮りの募集を選び、私はこういう者です、こういう風なことが出来ます!と簡単な紹介をして、お互いの返事が良ければそれでオーケーになって作品撮りのステップに進むことになります。

うちの場合はTFPに応募して最初にやらせていただいた作品はカメラを学んでいた学生さんの課題のための作品撮りに加わらせていただいたものでこちら、

ジャパーンというよりアジア色を出したいとのことだったので着物を後前に着させてアジアっぽくしてみました。

そうやってどんどん回を重ね自分の作品が溜まっていきます。 溜まった作品は段々とインスタなどでアピールしていくと、ちょっとづつですがフォロワーがついてきたりしてやっている事に理解をもらえると、お仕事をいただけるような事も出てきます。

ここで大事なのは、このTFPは学生時代や下積み時代だけの話でプロでやっていけそうと思った時点でこのTFPから卒業する事が大事です。 どんなクリエイターさんでも、ずっとただで仕事を頼まれていたらその業界自体が死んでしまいます。 自分もお金をちょっとでもいただけるようになったら、他のクリエイターさんの才能も尊重するのはマナーです。

私ももうあまりこのTFPはやりませんが、初心のクリエイティブな気持ちになりたい時は信頼のおけるメンバーでとならやる事もあります。でも最初の頃の下積み時代のTFPとある程度キャリアが出来てきた後のそれとでは全然クオリティが違ってきます。だって自分のレベルが上がると同時に才能を出し合うアーティストさん全ての方のメンツも上がるからそりゃもっといいもの出来ますわな。

後もう1つ大事なことは、投稿し続けることです!作品は出来た時はとても嬉しいので、沢山連続で投稿したくなります。ですがどうしても1週間2週間と感覚が空いてしまうと、いきなりやる気が失せてしまったりしてモチベーションは急降下。そう言った感じで何ヶ月も間が空いて行く・・。

見ている相手側からすると、この人はもしかして辞めてしまったのかな?もうやる気がないのかな?と思われがちです。

重要なのは間を開けないこと。毎日でもなくていいのでゆっくりとコツコツと長い間やり続けるっていうのはとてもシンプルでいながらとても大切な事です。それをやっているといつか厚みのある自分の歴史ができてきます。 作品ができなくても自分がまだこの仕事が好きです的なアピールの投稿で十分だと思います。

そういった中で「あの人こんな事してる人なんだな」という記憶を人々の頭の片隅に植え付けてゆくのです。

そのうち知り合いの知り合いで、こんな人がこんなことを探していたけどあの人こういう事が出来るんだったよな・・と人の繋がりがいつしかだんだん大きくなって来てお仕事がもらえるような時が来ると思います。 色んなシステムが分からない海外で何かを0から1にするというのはとても大変なことではあります。でもそこを上手くクリアすると1から2回から3回とだんだんとコネクションが広がり確実にステップアップ出来ると思います。

また海外だと言語の問題。やは技術だけではどうしようもない場合も多々あり、コミニケーション力というのも必要不可欠な問題にはなります。円滑に人とのコミニケーションの中で新しいものを作っていくと言うのは、どこの国でも同じことです。なので日常の簡単な会話以上は出来るようにしておくのも重要な事です。

こんな感じで私の着物スタイリストとしての始まり方を紹介させていただきました。

どんな仕事でも海外でスタートするのはとても大変で勇気がいる事です。私もまだまだスタート地点から2、3歩進んだだけではありますが、この経験が何かのお役に立てれば幸いです。

ロックダウン中の制作作業

3月の中盤よりオーストラリアのビクトリア州がロックダウンいたしまして早1か月以上が過ぎました。

着物業など生活に絶対必要なものでもないしであっという間に仕事もなくなり、ほとんど無職になりました!

食料などの必要なものの買い出しや、エクササイズ目的以外は外出を禁じられ、家族や同居人以外で3人以上で会うことも禁じられ人と会うこともできなくなってしまいました。違反した場合には日本円で10万円くらいの罰金になってしまうのでかなりシビアです。

学校もオンラインでの授業が開始され、子供達とだいたい家で過ごしています。

ずっと家にいてストレスもたまってくる頃・・と言いたいところですが、もう毎日が楽しくて仕方ありません。

だって家で好きなことだけに没頭できるんです。

お金の心配はややありますが、長期の家族旅行に出かけていると思考をチェンジしたら毎日家族でゆっくりコテージにでも滞在している気分で家を楽しむホリデー!と思ってそうなったら旅行中って収入ないのが普通だよね?ホリデーにしか楽しめない事たくさんするぞ!って気分で毎日過ごしております。

イライラ過ごしていたって、楽しく過ごしていたって、どっちにしろ現状出かけられないし、仕事もないんだから楽しく過ごさなきゃ損でしょ?てな感じです(子供達はどう思ってるか知らないけど 笑)

とりあえず今は自分のホームページの内容ををアップグレードするためにレンタルリストの着物のスタイリングを考え直したり、写真を撮り直したりしています。

ロックダウン前に買っておいて正解だったもの、それは3歳サイズのトルソー。

着物を床に置いてスタイリングを考える2Dとトルソーに着させて考える3Dとでは3Dの方が何十倍もイメージが広がる!

そしていつかまた再開できた時の七五三イベントのために被布も3着作りました。仕事の予定もないし、子供の送り迎えの予定もないので1日中制作に没頭できるなんてなかなかそんな機会ないですよ!

まず最初に男児用水玉被布、

モダンな着こなしご希望な方にぴったり。次におよそ100年前の黒留袖をリメイクした作った黒被布

 房はまだ買いに行けないので私のピアスのタッセル乗せてるだけです。なかなか日本であってもここまで素敵な留袖に出会う事もないので超自慢の逸品です。

生地はまだしっかりしてたけど、糸はもう流石に100年も経ってるとぶちぶち切れてて、それを解いて中にびっしり綿貼ってあったからそれも出して、水通ししてアイロンかけて仕立ててでなかなか大変だったわ・・

でもそれだけ頑張った甲斐はあるわ。

そしてユニセックスなベルベットの被布。こちらもアンティークの着物によく似合います。

あー!なんて可愛いんでしょう!(自画自賛)

そうそう、私個人的なご提案なのですが、3歳の時には是非被布をお勧めいたします!

といのは着ている時にお子様が楽なのが帯姿よりも被布姿だからです。3歳と言いますとまだまだ場所見知り、人見知り、いやいや期 などと色々ある時期です。その頃は帯より被布の着替えがパパッと済みますし、お子様の不安も多少軽減されるかと思います。

3歳男児に至っては袴は窮屈で動きにくく、多少着替えに時間がかかるため、普段の生活にない事に対するお子様の不安が多くなる可能性がありまして、お子様がなるべく笑顔でいられるようにと被布姿に限らせていただいております。 

3歳の袴はないんですか?と聞かれることもあるのですが、ごめんなさい、実はそういう理由からなのです。屋外でのロケーション撮影ですとスタジオ撮影と違い、長時間着ていないといけないという要素もありまして、なるべくリラックスできる衣装で多少暴れても大丈夫な被布をお勧めしている次第なのです。でももしご自宅など屋内の撮影でお子様もあまり不安がらない感じでしたら3歳の袴もご相談していただければ用意できますのでその時はご連絡ください!

でも逆に考えれば5歳や7歳のお祝いではもう被布を着ることは出来ません。この幼い時のお祝いの時にだけ見られる可愛い被布姿、是非楽しんでください!

最後に可愛い師匠の被布姿

Robe Japonica x Sala Okabe トークイベントご予約いっぱいとなりました。

3月25日に開催されるRobe Japonicaのデザイナー、ウエオカ氏と私のトークイベントありがたいことに予約いっぱいになりました。

撮影イベントは小舟さんでやらせていただいておりましたが、いつもは裏方の立場でしたので、日本で皆様の前に出るのはこれが初となるのですが 全く今の自分の日本の立ち位置がわかっていないのと。ほとんど着物好きの方々にリアルに日本でお会いしたことが無いので・・。

どうなるのか全く予測不可能です。

企画した当時は「20人予約入ったらいいねー(目標)」「いや平日だしそんな入らんでしょ」とか話していましたが

なんだか予想外な感じにバタバタと予約が入っていただき、あっという間に20人以上予約をいただき、場所の大きさの関係上こちらでもう予約を打ち切りとさせていただくことになりました。

興味を持ってくださった皆様、ありがとうございます!

予約人数もそうですが、予約してくださったメンツの方がかなりびっくりする内容になっておりまして、

本を出されている方、デザイナーの方、着物ソーシャルネット界では誰でもご存知の方その他諸々みなさんいわゆる「ガチ」な方々でして

ウエオカさんの周りどんだけ濃いの・・(うちの知ってる人たちも濃いけど・・)

ちょっと緊張しております。あれだけの皆さんにお会いできるなら私が何も話さずとももう入場料分の価値はあるのではと思うのは私だけでしょうか?

と言いますのは、企画当初はおしゃれが好きな若い学生さんとかに着物をファッションとしても取り入れてほしいねー!的なノリで始まった企画だったのでここまですごいメンツが揃うことになるとはの予想外のハプニングでありまして

こんなその道のプロの方々に向かって「着物はこんな風におしゃれに楽しむ事もできるんですよ!」なんて言ったところで、道場六三郎にご飯の炊き方をドヤ顔で教えるも同然です。

https://www.amazon.com/鉄人-道場六三郎の家庭料理/dp/4331504700

という事で作戦を完全に練り直さなければいけません・・

まぁ短い日本滞在期間にそれだけの方々に1度にお会いできるのは大変嬉しいんですどね・・

ほんと嬉しい誤算というか・・ある意味怖いというか 笑

皆様、お手柔らかにお願いいたしますとしか言いようがありません。

そして先週末メルボルンシティ内で行われた Japanese night  parade のイベントもうちのスタッフ&うちの旦那が’悪天候の中 私が不在にも関わらず頑張ってくれました!そしてそれを暖かくサポートしてくれた周りのストールの方々や遊びに来てくれた方々本当にありがとう!

今週の日曜日はフェデレーションスクエアでの恒例のJapan Summer Festival  です。 うちの店の名前はVintage Japanese Textiles です。着物も帯も破格で売っております。買っていただいた方にはその場で着付けもいたします。今のことろ天気も良さげですのでぜひ遊びに来てね!

Modest Fashion Runway での着物デモンストレーション

ちょっと前のことになりますが、2019年の Melbouen Fashion Week の一環で今年からModest Fahion Runwayがメルボルンで開催されることになり、その中で Kimono Stylist として何かしてもらえないだろうか?という素晴らしいオファーをいただきました。その中で今回は振袖の着付けデモンストレーションをさせていただきました。

Modest Fashionとは辞書によるとこんな感じです。

過度な露出や肢体の線(ライン)が見えるような装いを控えるファッションスタイルの総称。モデスト(modest)は「慎み深い」といった意味の英語表現。主に宗教上の規律から肌の露出が控えられるムスリム等によって親しまれている。 

Vogue でもこんな記事がありました。

https://www.vogue.co.jp/fashion/trends/2018-11-07/modest-fashion/cnihub

確かに宗教やその国のバックグランドからいろんなファッションのあり方があっていいはず、このマルチカルチャーなメルボルンに今までなんでなかったの?と思ったりもします。

その中でKimonoもModest Fashionなのか?という疑問もあったりしますが、露出がかなり少ないという意味ではそうなのかな?とも思ったり・・。

その辺は個々のの考え方だったりもするかもしれませんね。

私個人の意見では、今では着物で肌を沢山見せるファッションも沢山出てきており、それはそれで1つのあり方なので「アリ」ではあると思うのですが、肌の露出面積が多くなる=もっとセクシーに見える という意味では「NO」

だと思っています。覆っているからこその色香というのもある。というのが私の意見です。

これをお笑いに例えると、小学生の笑いのレベルとしては「おしり!」とか「うん◯!」と言っていればそれで笑えるかもしれません。とにかくわかりやすい。でも大人がそれ聞いて面白いか?って言ったらそうでもないですよね。

でも落語はどうでしょう?これはある程度知識がある人しかその笑いのセンスがわかりません。 そう色々学や経験を重ねた人にしか分からない笑いもあるように、着物の着方もそのセンスが上級になる程そこにある程度の「品」がる方が色っぽいと感じるようになると思うのです。それは年を重ねていけばいくほど覆うという「品」のメソッドを若い頃と違う色香に変えていけるストラテジーだと思っています。

そう言った意味ではmodest Fashionなのかな?

ここでの控え室はほとんどがイスラム圏の方々のデザイナーさんたちのファションランウェイの支度をするモデルさんとヘアメイクさんでごった返しててアジア人は私とヘアメイクのゆみさんと私のお願いしたモデルの久美子さんの3人だけでした。でもそこの場所での経験は本当に意味のあるものでした!

控え室だから聞ける本音トーク。今までイスラム圏の女性たちに聞きたかった「そのスカーフの中身どうなってるの?」とか「ヒジャブは彼女たちにとってどういうものなのか?」という聞いていいのか失礼なのか?ということさえわからなかったことが素直に聞けたり、逆に彼女たちからしたら着物の下は一体どうなっているのか?というミステリーが知れる、まさに控え室こそがファションの文化交流そのものでした。

今回のモデルはインスタとFacebook  で公募させていただいた中で応募してくださったくみさんにお願いしました。

私はデザイナーではないので自分のデザインしたもののランウェイは出来ないけど着付けデモンストレーションならできるよという提案を主催者側に伝えてあったので、今回は振袖着付けから帯結びまでのデモンストレーションをしました。Modest Fashion の企画なので最初から中じゅばんを着て、振袖も肩に羽織っての登場です。

ここでまぁ日本人にはおなじみの着付けなのですが、ここに来たほとんどの観客の方は着物を着るのを生まれて初めてみる方ばかりです。イスラム圏の女性が大半です。とにかく「New」なことばかりですね。その辺がちょっとメルボルンの面白いとこだったりするんです。一体彼らの目に着物の着付けはどういつったんでしょうか・・。興味あるけど今となってはミステリーです。

その着付けのあとちょっと司会者との掛け合いトークがあって私のショーはあっという間に終わったのですが、とにかくいい経験をさせていただきました。

このショーの後、1人の女性のことが頭をよぎりました。

彼女は私がオーストラリアに移住して来て間もない頃、同じ英語学校に通っていたクラスメイトの女性です。

彼女はイスラム圏からオーストラリアに移住して来た方で、いつも頭にヒジャブを巻いていました。体もラインが目立たないゆったりとした衣服を纏っていました。でもある日休み時間にこっそり私にだけ家にいる時の彼女の写真を見せてくれました。それは私でも着たことが無いようなミニスカートに肩まで露出のあるシャツを着た彼女。彼女曰く、親密な関係の女性だけの閉ざされた集まり、親と旦那さんにだけはこの格好をしている事を見せることは許されるそうです。

彼女は結婚していたので家では多分こういう格好でいるんだと思うんですね。

んで彼女曰く「私は私の旦那さんだけの特別なプレゼントみたいなものなの。いつもは綺麗にラッピングされてて愛する人だけがそのプレゼントの中身を見ることができるの」

なんかその考えすごいなとちょっと感動したのを覚えています。

隠れているからこその美しさ、中を見ることができるのは本当に愛してくれた人のみってなんかすごく美しく無いですか?

なんかそれってちょっと日本人の私としても忘れかけて来た色香なんだと思うと、そう言った文化が今尚存在するModest Fashionっている意味とても崇高でセクシーなファッションなんだと思ったりもするわけですね。

というわけで今回助けてくれたヘアメイクのゆみさん、モデルの久美子さん、どうもありがとう!

Kimono日和5月号 色無地スタイルその1

今月の着物日和の特集は色無地の着回しコーディネートでした。

一つの色無地で違う帯を使ってのスタイリングはメリハリをつけました。

こちらは友人の結婚式にお呼ばれした時などにおすすめのスタイル。

オフホワイトの袋帯にはうっすらと見えるかな?

前には1羽、お太鼓には2羽の孔雀が並んでいます。

2羽の孔雀は夫婦円満の象徴です。 他にもたくさんの縁起が良い意味が孔雀には込められています。

帯締めも少しメタリックがかった優しいブルーで統一感を出しました。帯留めはパールでよそ行き感を、帯揚げは絞りの変わりストライプでちょっと個性的にアクセントを。

kimono日和はメルボルンの日本語情報誌 Dengon Netに毎月掲載されているコラムです。

メルボルンにお住まいの方でしたら紙面でも見られますが他の方でもオンラインで見られますよ!

それにしても、毎回ヘアメイクさんにお願いできればいいのですが、

なかなかそうはいかない時も多々ありまして・・そうなるとKazariのハルさんと私でなんとかモデルさんのヘアを結い上げなければいけなく、そんなことを3年もやっていたら、かなり素人ながらに上達してきました!笑

見よ!この夜会巻き!