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こどもとしごと

今回は子供と仕事について書いてみようと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、私には子供が2人おります。

高一の娘と中一の息子です。2人ともオーストラリアで産まれております。

もともと私たちは地元浜松の隣町の同級生同士で結婚した2人でしたので、当初は自分がオーストラリアに行くとも思っていませんでしたし‘、それに加え母親になるとも全く想像しておりませんでしたし、家庭を築く夢を持っているわけでもありませんでした。

子供の件に関しては全く未来が見えないので犬でも飼ってそれでいいかなくらいに考えておりました。

それが人生の悪戯でオーストラリアへ旦那と移住が決定、その後1年で妊娠発覚。しかし、実は妊娠に関しては実は計画的でした。

日本に住んでいる時には子供も持つことに色々疑問を持っていたのですが、オーストラリアに住み始めた頃から「ここで産みたい、子供を育てたい」と思い始めている自分がいたのです。これはかなりの変化でした。

理由は色々あるのですが、ざっくり言うと、「子連れ母さんがレストランやら街やらどこでも出かけててすごく幸せそう」「知らん人でも赤ちゃん連れてるとすぐさまみんな助けてくれる」「ギャーギャーしてても笑顔の視線しか受けない」雰囲気と言いますか、世界と言いますか。

お母さんが生き生きしてるように見えたんですね。電車に老人や障害者が乗ってきたら椅子取りゲームならぬ 我先にと席を譲ろうとする椅子譲りゲーム。

困っている人がいたら誰でも手を差し伸べるのが当たり前の雰囲気のメルボルン。こんな場所で子供を育てたらどうなるのかなぁ、と思い始めている自分・・

んで旦那と相談で順調に妊娠、出産という運びとなりました。‘

そこまでは順調でしたが、出産手続き病院手続きから色々、オーストラリアでの生きるノウハウもままならない状況からのスタートでまぁ色々大変でしたがその件についてはまたいつか話します。

で、先に娘が産まれたのですが、この子がなかなか幼少期大変なお子で、とてもいろんなことに過敏でいらっしゃって人一倍の恥ずかしがり屋でした。スーパーに行って知らない人に微笑んで話しかけられたらギャン泣き、買い物なんてできやしない。

公園で枯葉が風に揺られて動いたらギャン泣き、知らない人と目があったらギャン泣き。私から1歩も離れられず、家から出られず、旦那に預けることもできず、1人の時間も皆無でした。お誕生会に招かれて行っても、知らない人がいると泣くので私1人レストランの外で娘を抱っこして佇む・・。マッチ売りの少女のようにレストランの外側から子供抱いて楽しそうなみんなを眺めて、いったいここに何しに来たんだ状態でした。その後3年後息子も産まれ、両親の助けもないのでそりゃまぁ大変大変。赤子の乳と糞にまみれて髪はボサボサ、着ているものはいつも乳で汚れてるTシャツ。

その頃、日本に住んでいた頃仲良くしていただいていた着物友達はどんどんスターの道を駆け上がり、フェイスブック越しに遠いキラキラしたお星様みたいにすごいなぁと眺めておりました。

自分の姿と比べてその華やかな世界を見ると自分何やってるんだろう・・

この地で何にも仕事のキャリアもないし・・毎日こんなドロドロでおしゃれのおの字もなく大好きな着物も着られず家事と育児で疲れてて・・と思うことも正直ありました。

その頃、一度友人の誘いで日本食レストランで夜働くことになったのですが、

まぁ娘が大変でバイトが入っている日は朝から「今日はマミーが行っちゃう日」と言いながら1日中ギャン泣き、旦那もほとほと困り果てて、バイトから帰ると娘は泣きつかれ、旦那は疲労困憊不機嫌で家の雰囲気は最悪。

もうその辺でこりゃダメだと辞めました。

で、ちょっとこのへんで考え方を変えてみたんですね。

産みたいと思ったのも自分、育てたいと思ったのも自分。全て自分から選んだ事、今すぐ働かなくてキャリアを積んでいく可能性はどんどん低くなるけど0%にはならない。

でも今のこの幼い時の子供たちの笑顔を見られる可能性は将来0%になる。

だったら中途半端に仕事だのキャリアだの思わずに、どうせ学校入ったら離れちゃうんだから、それまではとことん100%育児に真っ正面から付き合ってもいいんでないの?

人生80年だとしたら娘と息子の年齢差は3歳で、息子が小学校に行くのは5歳からだったら3+5の8年間、人生の10分の1、「母の愛とは何か」「何も相手に期待せずただ捧げる愛について」

をじっくり学ぶ修行だと思って愛について本気で取り組んでみる時間としてもいいのではないか?

幸いオーストラリアは子育て中の母には優しい政治の仕組みになっており、小さな子供がいれば飢え死にさせるような事はないだろうし、もう自分の事は後にしてこの8年間は修行としよう。

腹をくくりました。

その辺からまぁ大変ではあったけど気持ち的にはグジグジしなくなりました。

その頃、色々家庭の事情で経済的にもかなり大変で親にもめちゃくちゃ心配されましたが、まぁなんとかなるもんですね。笑

そこからまた数年経って、息子が幼稚園に入るころから、着物が着せられるのなら着付けお願いできるかしら?と知人に頼まれるようになり、小さいのがいるからそれでもいい方でしたらと了承を得てちょこちょこと自宅で着付けを始めました。その頃は独学で振袖着付けとふくら雀くらいまではできるレベルでしたのでまぁ普通の着付けはなんとか大丈夫ってな感じでスタートしたのですが、やり始めると面白くなってきて、もっとやりたくなって来てしまって「本格的に花嫁着付けまでできるようになりたい」と思い始めるようになり、日本に帰国の際に短期で着付けを教えていただける場所を探しまくりました。

その後、本当にラッキーな事に友人の紹介で地元で「子供連れて習いに来てもいいよ」と言っていただける方に出会い、子供をわらわら畳で遊ばせながら、マンツーマンで教えていただき花嫁衣装までなんとか2ヶ月で習得。

下の息子が小学校に入るまで悔いのないよう子育てを100%にする。という自分の中の決まりを作っていたので、晴れて息子が小学校に入学したその月にビジネス登録をしました。

小学校に入ったら育児は終わりか、と言ったら全然そんなことはないですが、それでも9時から3時半までフリーの時間が持てることやお友達との世界が広がって段々と私の元から離れていくことで時間の余裕ができました。

あんなに私の元から離れられなかった娘も小学2年生くらいから段々と変化が生まれ、シャイではありながらも1人で行動できる範囲がかなり大きくなりました。

そこからフォトグラファーのりなさんと出会い、七五三撮影企画など段々と着物スタイリストのお仕事をいただけるようになり現在に至ります。

大きかったのは、今まで近所のママ友だけだった世界がいきなり仕事という関係で子供の関係抜きで交際関係がビックバンのように広がって行ったこと。オーストラリア入国1年目で妊娠だったので、メルボルンのことも全く知らず、そこから8年間近所のスーパーと公園の周りしかウロウロしてなかったのですが、シティにはおしゃれなカフェがいっぱいある事、メルボルン北部にはファッショナブルな服屋さんがたくさんある事、メルボルン10年目くらいでやっと知りました。もともと自分の事を話すのは基本苦手ですが、私の仕事を知って信頼してくれ、いろんな新しい着物の仕事の相談も受けるようになりました。ほんとにありがたいです。

どうしても仕事で子供達の面倒が見れない時には旦那やママ友が沢山助けてすれました。

今となってはあんなに心配した娘も勝手に友達とどっか行っちゃうし、私より自立してるし、過ぎてみればあんなに悩んだのなんだったんだ・・という感じです。

あんなにたまひよ雑誌に穴か開くほど熟読し、小さいことでいちいち心配してた出来事も何年か過ぎてみれば「何かあったっけ?」程度の鼻くそみたいな事でした。

でもあの頃の自分に言いたいのは「あんた、あの時腹くくって子育てに全力を注いでおいてよかったね」って事です。

確かになんの着物キャリアもないとこから着物ビジネスをスタートしたのは39歳。海外で着物ビジネスやってる人なんて全然見つからないし、全てが手探り。それでもなんとか細々と食べていけるまでにはなりました。やっぱりキャリアの可能性は0%にはなってなかったと自分自身に証明できました。そして育児をやり切った悔いのない気持ちもあります。

まぁ人それぞれなので、産んですぐ仕事した方がハッピーの人もいるし、これは個人差ですので、人にもこうしろって感じではないです。

現在の自分はと言ったら多分今は私が一番自立していなくて、仕事終わったら早く家に帰って子供達に構ってもらいたいし、泊まりの出張がある日は夜は家族がいなくて寂しすぎて全然寝られないし、とにかく子供達に構って欲しくて色々ちょっかい出してる母です。笑

まだまだ母としての仕事は沢山残っておりますが、子供達も積極的に助けてくれる年になり、この地で出産し子育てを選択した事に1ミリの後悔もありません。そしてそうする事を承諾して協力し続けてくれている旦那さんにも感謝‘です。

来月には結婚20周年。これからの岡部家はどう変化していくのか?

いつもワクワクしております。

国際女性デーにまとう水浅葱の色無地

今日は国際女性デー。女性の「主体性、平等、尊厳」の尊重を考える日でもあります。そんな日に選んだのは水浅葱の色無地です。
私の中で理想の女性像のイメージの色の1つとして水浅葱色があります。 その昔、まだ着物に興味を持ってまもない20代前半、 Kimono姫 ( 今の kimono anne)に載っていた笹島寿美先生の着こなしに衝撃を受けたのを覚えています。
 
水浅葱だったかもう少しグレーだったか・・の色無地に袖から覗く襦袢の線と帯締めだけか真赤に引かれていました。
その時、水浅葱と赤のコンビネーションは年を重ねた女性こそ潔くも色気のあるものとして映える素晴らしい色だな。と思ったのを今でも忘れません。
 
着物は年を重ねていくうちについた気迫のようなもので纏ってこそ美しいものもあります。
 
若い女性が着る爽やかな水浅葱もよし、年を重ねた女性が纏う気迫の水浅葱もよし。
 
本当に美しい色です。

外でも内でも着物は着物

通常ですと毎年この頃は毎週水曜日、メルボルンの有名縁日的な”Queen Victoria Night Market”に着物のポップアップショップを出して、お店に来ていただいたお客様に着物を着るのを体験していただいているのですが、

今年はコロナの影響でそちらも無くなってしまいました。残念ですが仕方ありません。

うちに来るお客様の大半は人生において着物をトラディショナルに着たことがないお客様ばかりで、着物の知識もほとんど無いに等しい方がほとんどです。 本当に知らない方だと

「これは何だ?」『Kimonoだよ』

「Kimonoって何だ?」『日本の伝統的な服なんだよ』

「へー!」って方もいらっしゃいます。

そんなところで着物を売っているのでもう日本ではあり得へん質問も多々投げかけられる感じでやっております。

その中でもよく受ける代表的な質問集

Q.着物着た女性のことをGeishaって言うんでしょ?

A.違いますよ、日本では着物を着た女性のことを「着物を着た女性」と言いますよ。

Q,  昔は日本で女性は着物着てたんだろ?その頃男は何着てたんだ?

A. 着物だよ。

Q.なんでこんなに長いの?日本人は背が低いのに

A. 日本では女性の着物は腰のところで紐で結んで長さを調節して着るために長いんです。

Q. あの着物着てる人の背中についてる四角いクッションみたいのは何のためだ?

A. お太鼓結びという帯の結び方なんです。背中を守るためではありませんよ。

こんなのがよく聞かれる質問です。

あまりに日本ではあり得ない質問が多いので逆に「あぁそう見えているんだなぁ」と色々勉強になってます。

ほとんどの人は着物っていうのはわかってもらえてるんです。それで「私着物大好き!」ってな感じで色々質問してくださります。質問がトンチンカンだとしても、たくさんの方に着物や日本が大好きと言ってもらえてここで着物屋をやっていてつくづく幸せだなぁと思います。 ほとんどの方は着物は家のナイトローブに、帯は部屋の飾りとして買っていかれるので、まぁ郷に入っては郷に従えでこの国なりのやり方で着物を楽しんでいただければ嬉しいと思っております。

やはり自分の国のものにちょとでも興味を持ってもらえたり「美しい」と言っていただけるのは本当に日本人として嬉しいですね。

そんな中で、 実はちょっとどころか最強に着物のことを美しい!と知ってくださってる、しかもそれをどんどんいろんな国に発信してくださってる最強な人たちがいるんです!

そんなすごい方々を今日は紹介したいと思います。

まずはAnji、日本在住ドイツ人

彼女のインスタをまず見てもらいたい!

https://www.instagram.com/salztokyo/

彼女のすごいところは日本人の現代の保守的な着物のやり方もちゃんとわかってるけど、海外からアンジーの着物スタイリングを求めてやって来る人にもちゃんとオリジナリティー溢れる表現が出来てる事。海外から来られる方って普段日本で着物を着てる人からすればあり得へん要望って事もたくさん起こるはず。でもその中で柔軟に対応しながらちゃんと彼女のスタイリングの特色を出してるところ。これって実はメチャクチャむずかしいんだよ!

次にSheila、日本在住イギリス人の着物研究家です。

https://www.instagram.com/kimonosheila/

まず彼女の着物文化の知識は半端ではない。本も出版されて日本 で講義もされています。

とにかく知識が半端じゃないです!!

こちらはシエラ自身のスタイリング本、サインもらっちゃった🎶

着物の知識がありすぎる着物愛好家は割と守りに入る着こなし傾向にありますが、彼女は絶対守りに入らない!それどころか新しい事にどんどんチャレンジしていってる。ずっと攻め続けている!私より年上だけどとってもチャーミングで着物の着姿も可愛い。

彼女の持っているそのアートセンスは日本とイギリスで培われたものなのでしょうか?

次にBilly、日本在住のドイツ人です。

https://www.instagram.com/biriinyan/

チェックしてもらいたいのは彼女のYoutube チャンネル。

https://www.youtube.com/c/BillyMatsunaga/featured

着物の知識を英語でも日本語でもとってもわかりやすく創意工夫にあふれた形で紹介してくださってます。 日本語の着物チャンネルで詳しい着物情報が学べるものは数あれど、着物の決まりと現代アレンジをここまで分かっていながら、こんなにも詳しく情報を日本語と英語で紹介しているのは彼女のチャンネルだけではないだろうか?

全て役に立つ情報ばかりです。

日本人で着物好きさんだったら彼女の英語動画見たら絶対英語も勉強できやすいと思うので是非英語勉強にもなるこのチャンネル見てください!

そしてイギリス在住のイギリス人Tia

https://www.instagram.com/tia_oguri/

個人的に黒人の方の着物姿を見るのが大好きな私なので、彼女のスタイリングと着物姿を見るのをいつも楽しみにしています。

最近発表された彼女の浴衣コレクションも彼女の独自性がそのまま生かされててすごい素敵なんです!

https://www.instagram.com/uberdandykimono/

彼女のバックグラウンドから影響された独自性溢れるクリエーションとクールなAttitudeが見事にマリアージュしてて彼女にしか創ることの出来ない世界観。クロスカルチャーファッションとは正にこのことだ!と思い知らされます。彼女の最近の浴衣コレクションUber Dandy Kimonoも要チェックです!

そしてポーランド在住Anna、

https://www.instagram.com/kimonoteka/

ポーランド語での着物本も出されています。

本出すまでに研究したことは数知れずだっただろうなぁ・・。

ちなみにBilly のyoutube チャンネルにこの前 Tia とAnneと私とBillyでイギリス、ポーランド、日本、オーストラリアを結んで生中継でライブトークをやらせていただきました。すごい時代になりましたね。

この素晴らしい方々全てに思うのは、きっと私のようなただ普通に日本で産まれちゃった日本人よりも人一倍いろんな努力をしたり、どーでも良いような誤解に苦労したり、思いもよらない見当違いなコメントなども沢山受けてきたのではないかと思うのです。

逆を言えヨーロッパで活躍してる日本人ソムリエさんがいたとして、文化の違う場所で頑張るためにはヨーロッパ人以上の努力をしないと周りに認められないと思うですよね。多分「お前には俺らの文化はわからない!」なんて言われたら私はそんなことはない、この人はその分努力してるんだ!って思ってしまうわけですよ。

私は日本人でなければ着物の事理解できないなんて1ミリも思わないし、彼女たちの努力と前向きな姿勢には本当に頭の下がる思いです。

あと私の個人的に思うところのある

「文化の盗用(Cultunal appropriation )」という言葉ね。

私は洋服を着ていて「他の文化の盗用するな」と言われた事がない。日本人以外の人が着物を着て文化の盗用と言われるなら私のような者が洋服を着ていても「文化の盗用」になるのではないか?それとも洋服だけが許可のいらない特別な衣服で他のものが違うというのなら、その考えこそが差別ではないか?と思ってしまうわけです。

どんな衣服でもそりゃ服装のマナーやドレスコードはあります。それはその場所に応じた適切な格好をするという事であって「どの国の誰が」というのはまた別の話だと思うんです。それ以上にその文化に敬意を示してくださって発信してくださってる面に目を向けたい!

私は素晴らしい着物文化を紹介してくださってるこの方々にありがとうと言いたいです。

ありがとーーーーー!!!

という訳で、外でも内でも着物は着物でした。

恋と愛は似て非なるもの

恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの。

大好きな美輪明宏さんの名言です。

言い換えれば恋とは「エゴ」、愛とは「思いやり」なのではないか?

と、前々からサラちゃんは思うとるわけでございます。

恋とは自分自身のエゴとの戦い、相手が思うように振り向いてくれない、違う異性と楽しそうに話しているのを見て感じる嫉妬・・。全て自分の期待するように相手が動いてくれない事への苛立ちと自己嫌悪の連続。それはそれは非効率的でとても苦しいものです。

だからと言って恋はするべきではないのでしょうか?

いやいや、苦しくもあるが恋に溺れる時こその美しさ、そこにある感動は本当に恋した事がある人にしかわかりません。めんどくさく全く効率の良くない事ばかりですが、それを経験した事のある人にしか分からない美しい感動がそこにあるのです。

まぁ前置きは長くなってしまいましたが着物もそうです。

私も着物に恋心を抱く前は、「あんな高いだけで効率の悪い衣服、着る意味が全く分からんわ。」と思っていました。

でも着物のキューピットは突然私の胸に矢を放って来たのです。関心度0から100に急に変わったのです。まさに恋に落ちる瞬間と同じです。そこから0から着方を学んで「着こなし」を学び それはそれは現代の洋服に比べて効率の悪い事ばかりですがその効率の悪さすらも美しく思えてしまう恋の魔力!

そこから20年経ちますが、今は恋と愛の狭間、まさに「恋愛中」です。

自分で絶対に纏いたい着物、私でなくてもいいから似合う美しい人に着てもらって幸せになってほしい着物、沢山あります。

でも私は全く着物に関心のない人に無理やり着物の良さを押し付ける気はないです。洋服が大好きだった私だから洋服でいいわ!って気持ちもすごいわかります、

さらにはもっと着物を着ている人を増やしたい!とも思っていません。 そんなことをしなくても素敵なものはいつの世の残るし、無理やりなこじつけの伝統はいつか自然に廃れるものです。

でも着たい!と思ってくれてる人には私のできる限りのお手伝いはしたいなといつも思っております。

私はまだまだ未熟で無知ですが、海外での苦労、お金がない時の苦労(今もあんまり無いけど)、ジロジロ見られる苦労(?)

私の自身に起こった経験からの乗り越え方は色々培って来たのではないかな?と思っています。

そんなこんなでこれからもインスタやブログを使って私の着物恋愛トークをぼちぼちとしていきたいと思います。

最後にもう1つ名言で今回の締めくくりにしたいと思います。

 

恋愛はチャンスではないと思う。

私はそれを意思だと思う。

ー 太宰 治 ー

 

なんでサラちゃんなの?

突然ですが私のSala Okabeというのはビジネス名です。

本名はオカベ マリと言います。

全然違います。

なのでメルボルに住んでいる私の友人には「マリ」と呼ぶ人と「サラ」と呼ぶ人2種類おられるので時々困惑されます。私的にはどっちで呼ばれようと構わんのですが、最近はサラちゃんの方がメジャーになって来たかな?と思います。

で、なんで名前を変えたのか?ってとこなんです。

私も出来るの事なら本名オカベ・マリで行きたかったのですが、ちょっと問題がありました。

15年前私は大阪に住んでいたんですが、その頃自己紹介をするたびに「ぷぷっ」と笑われていたのです。

そう、その当時大阪で絶大な人気番組「探偵ナイトスクープ」の秘書を務めておられる方が岡部まりさんでした。

当時の探偵ナイトスクープ様より

なので病院に行って待合室で看護婦さんに「オカベ、オカベマリさん」なんて呼ばれようもんなら全員こちらを振り返る始末です。「中森、中森明菜さん」って呼ばれているようなもんです。

その振り返った方が私を見たときのがっかりした顔と言ったら・・。

そんなこんなでビジネスをスタートしようとなって自分のウェブサイトを作ろうと思ってネットで「オカベマリ」を検索したら出るわ出るわ探偵ナイトスクープ&岡部まりのオンパレード・・。

こんな中で私の名前を出したとしても検索のトップに上がってくるはずも、検索したい人が名前を入れて見つかりやすいはずもない!こんなところで「秘書・岡部まり」と張り合っててもしょうがない!と思い独自のビジネス名をつけることにしました。

もともと他の着物サイトを運営してた時もSalaは使っていたのですが、それをただ持って来てSala Okabe。

この名前の重要なところは名前に「L」が使われている事です。日本名のサラを英語表記する時、普通SARAで「R」になります。 なのでLが使われることは殆どない。私の名前をググった時にトップに来やすい。サイトを間違える可能性もぐっと減ります。だからと言ってまりで「Mali」にするとなんか名前っぽくないから却下でした。

あとに日本人にも外国人にも呼びやすく簡単な名前、Lがついているからと言ってLinda(リンダ)とかはこっぱずかしいし・・。

あとはどこか和服に関係したものの感じのサウンド「更紗(さらさ)」のサウンドも入れてSalaしました。

なのでいわゆるSEO対策ってやつです。

ただそれだけのお知らせでした。

味噌汁を味わうように和服を着るのだ。

今までにこんな経験は無いでしょうか?

待ちに待った1週間のフランス旅行。パリのレストランやカフェを廻ってグルメツアー。最初の1、2日目、パンやチーズのおいしさに「やっぱりヨーロッパだよね」と感激。

しかし1週間も経つ頃、毎日食べる外国っぽい味ざんまいで胃袋ちょっとお疲れ気味で帰国。日本の自宅に帰ってき久しぶりに食べる炊き立てのご飯とお味噌汁の味。体中に染み渡る出汁の味・・・。「あー!日本人で良かった」と思うまさに至福の瞬間。

実はこれ、「食」だけでなく「衣」でも起こりうることなんですね。

それが日本人における着物なんだと思います。

自分にその瞬間が訪れたのは忘れもしない24歳の時でした。


10代の頃まではアメリカの50‘sファッションやカルチャーが大好きで、その50’sの音楽の影響も受け、当時そのシーンが盛り上がっていたはロンドンに19歳の頃遊び半分、英語半分で留学していました。

ロンドンの50‘sシーンのファッションはめちゃめちゃカッコよく、クラブで盛り上がっている50’sスタイルのファッションに身を包んだイギリス人の女の子達はまるで映画のワンシーンを見ているようでした。私も少ない小遣いを貯めて古着屋さんを巡り同じようなファッション真似しましたが、どう頑張っても彼女たちのように可愛くなるには程遠い感じでした。

不完全燃焼のまま月日が経って日本に帰国し数年日本で働いた後会社を辞め、3ヶ月アジアを放浪する事になりました。

インド放浪している途中ガンジス川のほとりで見た川で洗濯する女性たち。朝日に照らされて彼女達が着ているサリーはキラキラと輝いているようでした。

お世辞にも裕福と言えない彼女たちの衣装でしたが、その美しいインドの光景と重なって、これほどまでに民族衣装と言うものはその土地の女性を美しく見せるのかと感動したものです。その瞬間全く予想をしていなかった考えが頭をよぎりました。

その5秒前まで全く興味が無かった自分の国の民族衣装。着物が着てみたい!と。

日本に帰ってくるやいなや、何も知識がないのに呉服屋さんに飛び込み、とりあえず店頭のワゴンに入っていた居酒屋のスタッフが着ているような2部式の着物をこれなら自分で着られるだろうと買い、家に帰り試着。2部式着物はラップスカートと上が紐で縛るだけのカーディガンのようなものなので誰にでもすぐ着られます。

お世辞にも素敵な気姿とは言えなかったと思いますが、その瞬間に海外旅行後の炊きたてご飯と味噌汁を口にしたときのような遺伝子レベルで染み込む感覚。

体になじむ不思議な感じ。これ絶対日本人の私に似合わない筈が無い!と思った瞬間でした。

今まで50年代のアメリカンファッションが好きだった私は、どうあがいてもドレスは私の体になじまないと言う悩みを持っていましたがそれを一気に克服した気分でした。

そこからあの時代はyoutubeもなかったので近所の教室で基本的な着付けを習い、何とかそこからも独学で練習して自分で着られるようになり、たくさんの買い物の失敗しながらも、だんだんと自分のスタイルと言うものが分かってきました。やはりアメリカの50年代のファッションやデザインが好きなのは今でも変わりませんが、着物をベースとしてその上に自分の好きなデザインを盛り込むことによって、等身大でありながらも自分の憧れるスタイルに持っていくという技も学びました。自分の好きなスタイルでいながらも着物を着こなす事は可能なんです。

今世では残念ながら憧れのグウェン・ステファニーみたいなルックスで産まれなかったけど、日本人として生まれ持った自分の土台の中でどう勝負するか、何が似合うのかを考えるようになりました。

今までディスアドバンテージだと思ってた背が低くフラットな体のライン、手足が短く胸やお尻が出ていない洋服の時のコンプレスクスだった要素が基本的には着物では全部アドバンテージであることもわかりました。

自分のありのままの体つきをアドバンテージにしながらも好きなデザインを着られる、そうやって私の着物好きはどんどん拍車がかかって行きました。

2002年には着物界のルネッサンス的事件Kimono道(現在Kimono anne)発行。まさに夢のような世界観・・。アァ、好きな着物を好きなように着ていいんだ!もうこの本に後押しされて着物が大好きになった女子も多いと思います。この辺からはもう私はこの沼から出ることは出来ないと確信しました。

それから約20年余りが経ち、オーストラリアに拠点を移動しましたが、今でも炊きたてご飯と味噌汁を食べるように着物を楽しんでいます。

体にまとって感じる「あー日本人でよかった」感。いつか皆さんも体験してもらいたいなぁ・・。

私の普段着のナカミ

この秋は、コロナの影響でめっきりお出かけする機会がなくなってしまいましたが、通常では着物を着てお出かけすることも多いです。今日は、よそ行きという感じでなく普通の日の私のお出かけ着の中身を紹介します。

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これはは全くの私流ですので、流行りのすっきりきれいな着姿的なものを求める方にはあまり参考にならないかもしれません。

またこうしたら良いよ!と言うコツ的な感じなわけでは無いのですが、「ふーんこう言う人もいるんだな。」くらいに参考にしていただけたらと思います。

まずはパンツを履きます。(パンツの写真割愛)

その後ユニクロなどのカップ付キャミソールを着ます。寒いときにはババシャツも着ます。

腰巻をします。寒い時は2枚にします。腰巻は可愛い洋服用の生地で自分で手作りすることが多いです。上の部分は晒布にして紐付けています。やはりここは歩いているとチラリと見えるところなのでかわいい布で行きたいところです。

和装ブラや補正タオル等は一切しません。何故かと言うと好きじゃないからです。もともと私は洋装でもブラジャーとかガードルとかはたまたストッキングもあまり好きではありませんので極力それらを着ないような感じでやっています。

その後胴の部分が晒布になってる半襦袢を着ます。袖は筒袖にしています。アンティークやヴィンテージなどセカンドハンドの着物を着ると袖丈がまちまちなのでそれに合わせて襦袢の袖丈を合わせていると、たくさん襦袢を用意しなければいけないので普段着は筒袖でおしまいにしています。これでも全然バレません(バレない理由は後で説明します)。よくあるこういうよくある半襦袢、日本で2、3千円で上下セットで売られている2部式襦袢なのですが、この片割れの上の部分の半襦袢がウチの販売用着物の搬入時に時々潜り込んでくるのです。ちゃんとした長襦袢などは、結構外国人の方達に人気で売れるのですが、この外国人からしたら謎の上半分アイテムは、あまり魅力がないようなので売れ残ります。かわいそうなので私が着てます。

それの袖のところだけちょん切って筒袖に直してから着ています。

私はかなり胸が薄く、補正や和装ブラをしない状態で着るので胸元に緩みが出来ます。

それに対する解決策は

「まぁこれが私の体なんだから。」

と、気にしない

です。

自分には着付けの本に出ているような気姿は求めてません。(でもお客さんはちゃんとするよ!)

その後に長着を着ます。この辺は特にコツもなく普通に着ます。

そして普段は帯は半幅帯にすることが多いです。半幅帯でカルタ結びなどで背中をぺちゃんこにしてます。普段は車を運転するのでぺちゃんこなのが好きです。帯板は以前紹介したエコバック底板帯板を使用してます。

簡単な帯締めをして、その後男黒羽織を着ることが多いです。ここで女羽織を着てしまうと、シルエットがとてもフェミニンになってしまうため(良いんだけどね、普通はそれで 笑)なんだか私っぽくないのでここはいつもメンズの羽織を着るのが私の中でお気に入りです。

あとメンズの羽織の良いところは袖のところが空いていないので、どんなに着物の袖丈がまちまちでも全然バレません。これが筒袖でもバレない秘密です。

 女羽織だと長着と羽織の袖の長さが合ってないのがバレます。

ハンカチも入れても落ちません。しかし帰宅後ハンカチ取り忘れて数ヶ月後、再度着た時にモニュモニュになったハンカチが発見される事件は時々起きます。

その後草履の時もありますが、ほとんどは靴下と革靴の方が多いかもしれません。理由は運転しやすいのと雨が降っても大丈夫なのとマニッシュなシルエットが私のスタイルにはしっくりくるかなぁと言う理由です。

そして帽子をかぶって完成と言ったところでしょうか。

着物でも洋服でも、服を着られるようになる事は練習すればできるようになります。(洋服だって昔は練習したでしょ?パジャマでおじゃま)

しかし自分らしい着方と言うのは長年かけて築き上げるものです。それは単純に「綺麗に着られるようになる」と言う感じでなく「自分らしく自分自身を輝かせるコツが掴めてくる」

私も完璧にできるようになったか?と言ったら決してそうでもありません。洋服着るときだって料理だって車の運転だってこれぞ完璧!と言うのはなかなかないように、全ては永遠に続く課題です。

でも1回目より2回目、2回目より10回目の方が良くなっていくのは事実です。

着物も最初の1回目は早ければ早いに越した事はありません。そして回数を重ねるに越した事はありません。

回数を重ねたぶんだけ自分の体が分かって来ます。自分の体の愛おしさが分かって来ます。

是非これから着物を着たいな、と思っている方がいらっしゃったら今ではYouTubeでもなんでもある時代だからとっかかりは簡単です。

あとは自分の背中をちょっと押してあげるだけよ。

呉服と流行

今日は5月29日529(ゴフク)のごろに合わせて呉服の日と言う事だそうです。

呉服と言ったら着物のことを連想しますが、実は呉って中国戦国史なんかで耳にする魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の呉から来ています。
その当時は日本の主流の織物は麻や綿が主流でしたが、海外の呉の国から絹織物が日本に伝わり、その織物で作られた服が「呉服」と言う形の最初だったそうです。

いつしか時が経って着物全体のことを呉服と言うようになり、着物屋さんのことを呉服屋さんと呼ぶようになったとか。

その観点で言うと、呉服と言うのはその当時の中国から入った織物で作った全ての服と言う形になりますので、ドレスでもその織物で作れば呉服になっちゃうので、厳密にくくると、今で言う着物とはちょっと意味合いが変わってきますね。まぁそこまでうるさく言う人はいないと思うけど・・。


着物とは日本の伝統的な衣装として知られておりますが、実は昔からいろんな海外の影響を受けてさまざまに変化してきました。今で言う「着物」の形が完成されたは江戸時代の後期だそうです。 それぞれいろんな流行り廃りがありながら着物は変化し続けて来ました。

どんな衣服でも生きたファッションと言うものには流行はつきものです。

「流行」 流れて行くもの。

いつの時代でも流れていなければいけません。流れが止まった川は死んでしまいます。マナーを重んじる場でもそれなりの今の流行に乗った着物の着方を守らなければなりませんが。それすらも時代と共に人々の受け止め方はゆっくりと流れています。

着物はいろいろな形で影響受けながら、これからも何百年もかけてちょっとずつ変わっていけるいくもの、流れていくものそして変わっていく可能性がある服だと思います。

伝統が失われるからというからと言う義務感で着なければいけないのではいつかは着物は廃れます。

いつの時代もワクワクさせてくれるもの、自分自身を輝かせてくれるものという認識であればこれからも新しい流行を作りながら着物は存在し続けるのではないかな?と思うのです。

着物スタイリストとして海外で仕事をスタートした最初の1歩

先日はビクトリア州ロックダウン緩和から、久しぶりに友人のフォトグラファーに誘われて作品撮りをしてきました。2ヶ月以上家に引こもっていまして、ステイホームが楽しくて楽しくて仕方ない状態にまでなって来てしまって、

「このまま自分どうなっちゃうのかな?」とふんわり思っていましたが、案外あまりにもあっさりと前のワクワクした感覚で作業が出来た事が何かちょっと嬉しかったりもしました。

さて、今日は私がオーストラリアで着物スタイリストとして仕事しようと決心してからどうやって自分のキャリアを0からステップアップして行ったかと言う事を少しお話ししたいと思います。(と言ってもまだそれほどステップもアップしてないが)

約6年前、自分は着物スタイリストでやって行こう!と決心しましたが、やはり日本のような着付けと言う文化がない分着物と言うものがどういうものか、着物スタイリストと言うものが何なのか?と言う事を全く分かってもらえて無いところからのスタートになります。

着物と言うものすらよく分からない人々が大半の中で自分のオリジナリティーを出しながらどういう風に着物スタイリストというもの認知してもらうのかな?そっからスタートです。

まずは「ビジュアルにうったえてなんぼや!」てな感じで写真の作品が1番わかりやすいかと思い、そっちが何とかならないかな?と考えてみる事にしました。

と言ってもフォトグラファーさんの知り合いなどいないし、右も左も全然何もわからない時点で、何のコネクションもないままゼロからのスタートです。 こちらで着物着付けの資格を持っていても全く役に立ちません。

何しろ着物の資格と言うものがどういうものか、それ分かる人すらいないし、着物を自分で着るとか着ないとか、着せてもらう衣服が存在するか、まずそういう事がよくわからない次元からのスタートになります。0というよりマイナス20くらいからのスタートです。 でもなんとかしてアピールしなければなりません。

写真を撮ってもらうにはまず作品撮りと言う形から入ります。作品撮りとは自分達の制作作品としてPRすることを目的として行う撮影の事です。

まず何かしらの作品撮りに参加させていただきます。私がスタイリストの場合はスタイリストとして仕事をします。そしてその関わった写真作品が私のスタイリスト作品としてフォトグラファーさんからいただけます。 それを何回か繰り返し出来た作品を自分のポートフォリオを作るために貯めていきます。ポートフォリオとはいわゆる自分の作品集みたいなもので、自分はこんな仕事が出来ます!とビジュアルで見せる履歴書です。

沢山撮影をして、自分の写真作品をどんどん貯めて行ってポートフォリオを作ります。そのポートフォリオを見てもらうことで自分の仕事を認知してもらうと言うのがこちらの一般的なやり方なんではないかと思います。

私はどこかに就職試験を受けに行ったわけではないですが、インスタグラムが自分のポートフォリオという感じになってます。 

こちらではクリエイター系は何かの仕事の話になると「What’s your Instagram?」とよく聞かれます。 インスタグラムの投稿=この人の世界感という事で、その自分のインスタアカウントの投稿が魅力的だと撮影にこぎつけたり、仕事のお誘いがかかったりするので、かなりインスタグラムは重要です。 

ここで自分のインスタの写真が最近食べて美味しかったおやつや家族旅行の思い出など、あまりに個人的な写真ばかりだと相手に強いインプレッションが与えられないので、インスタアカウントはプライベート用と仕事用と分けておくのがおすすめです。

んで、作品撮りの話に戻ります。

さて作品撮りやりたい! でも全くコネクションがない!てな状態での海外でいきなり一緒にやってくれるフォトグラファーさんやモデルさんを見つけるのは至難の技です。ましてや金が無い下積み時代。いちいち作品撮りのためにこれらにお支払いしていたら破産してしまいます。

そんな方達はTFPと言う言葉を覚えておいてください。TFPとはTrade For Print の略、モデルとフォトグラファーさんの最初のお約束といいますか私はただで写真を撮ってあげるから代わりにモデルをしてくれる?てなお約束みたいなものです。

フォトグラファーさんモデルさんスタイリストさんヘアメイクさん、みんな学生などキャリアがないうちは、ポートフォリオ作りたいけどモデルを雇ったり、フォトグラファーさんを雇ったり、お金がかかる事はなかなかできません。なのでお互いの自分のできるスキルを出し合い完成した写真をみんなでシェアすると言うシステムで、それぞれの才能を持った人たちが集まって無償で作品撮りをすると言うのがこのTFPになります。これが最初のポートフォリオ作るスタートになるかと思います。私はこのコラボレーションのやってくれるフォトグラファーさんを探すのにまずはMelbourne Creative Networkと言うFacebookページから頑張って探しました。

そこで自分に合った作品撮りの募集を選び、私はこういう者です、こういう風なことが出来ます!と簡単な紹介をして、お互いの返事が良ければそれでオーケーになって作品撮りのステップに進むことになります。

うちの場合はTFPに応募して最初にやらせていただいた作品はカメラを学んでいた学生さんの課題のための作品撮りに加わらせていただいたものでこちら、

ジャパーンというよりアジア色を出したいとのことだったので着物を後前に着させてアジアっぽくしてみました。

そうやってどんどん回を重ね自分の作品が溜まっていきます。 溜まった作品は段々とインスタなどでアピールしていくと、ちょっとづつですがフォロワーがついてきたりしてやっている事に理解をもらえると、お仕事をいただけるような事も出てきます。

ここで大事なのは、このTFPは学生時代や下積み時代だけの話でプロでやっていけそうと思った時点でこのTFPから卒業する事が大事です。 どんなクリエイターさんでも、ずっとただで仕事を頼まれていたらその業界自体が死んでしまいます。 自分もお金をちょっとでもいただけるようになったら、他のクリエイターさんの才能も尊重するのはマナーです。

私ももうあまりこのTFPはやりませんが、初心のクリエイティブな気持ちになりたい時は信頼のおけるメンバーでとならやる事もあります。でも最初の頃の下積み時代のTFPとある程度キャリアが出来てきた後のそれとでは全然クオリティが違ってきます。だって自分のレベルが上がると同時に才能を出し合うアーティストさん全ての方のメンツも上がるからそりゃもっといいもの出来ますわな。

後もう1つ大事なことは、投稿し続けることです!作品は出来た時はとても嬉しいので、沢山連続で投稿したくなります。ですがどうしても1週間2週間と感覚が空いてしまうと、いきなりやる気が失せてしまったりしてモチベーションは急降下。そう言った感じで何ヶ月も間が空いて行く・・。

見ている相手側からすると、この人はもしかして辞めてしまったのかな?もうやる気がないのかな?と思われがちです。

重要なのは間を開けないこと。毎日でもなくていいのでゆっくりとコツコツと長い間やり続けるっていうのはとてもシンプルでいながらとても大切な事です。それをやっているといつか厚みのある自分の歴史ができてきます。 作品ができなくても自分がまだこの仕事が好きです的なアピールの投稿で十分だと思います。

そういった中で「あの人こんな事してる人なんだな」という記憶を人々の頭の片隅に植え付けてゆくのです。

そのうち知り合いの知り合いで、こんな人がこんなことを探していたけどあの人こういう事が出来るんだったよな・・と人の繋がりがいつしかだんだん大きくなって来てお仕事がもらえるような時が来ると思います。 色んなシステムが分からない海外で何かを0から1にするというのはとても大変なことではあります。でもそこを上手くクリアすると1から2回から3回とだんだんとコネクションが広がり確実にステップアップ出来ると思います。

また海外だと言語の問題。やは技術だけではどうしようもない場合も多々あり、コミニケーション力というのも必要不可欠な問題にはなります。円滑に人とのコミニケーションの中で新しいものを作っていくと言うのは、どこの国でも同じことです。なので日常の簡単な会話以上は出来るようにしておくのも重要な事です。

こんな感じで私の着物スタイリストとしての始まり方を紹介させていただきました。

どんな仕事でも海外でスタートするのはとても大変で勇気がいる事です。私もまだまだスタート地点から2、3歩進んだだけではありますが、この経験が何かのお役に立てれば幸いです。

日本では着物警察ってのがいるらしい。

日本を離れて15年。その間にいろんな新しい言葉が出てきて、ついていくのが大変です。

ちょっと前からですが着物警察呼ばれる方が居るとか居ないとか、そんな話をよくネットなどで目にします。

赤道越えたをメルボルンで15年ほど着物生活を楽しんでいますが、こちらではそのような警察にお会いした事は無いので普通の警察に駐車違反で捕まって涙を流しながら罰金くらいの苦い思い出しかありません。

しかしやはり日本に住んでいた頃、着物姿で街を歩いていると着物にブーツなどメインストリームでない着方をしていたと言うのもありますが、あからさまに指をさされたり、通りすがりのおばちゃんが「なんかすごいカッコしている!」などと聞こえるようにお話をされているのを耳にした経験したことがあります。

それだからといって自分の着方にある程度の考えがあってやっていた事でしたのであまり気にも留めなかったのですが、やはり着物を着始めてまだあまり自分のスタイルというものが確立する前の時点で同じようことを言われた方がいらっしゃるとしたら、それは結構心折れるんではないかなーと思うんですよ。

私は今オーストラリアで着物着て出かけることがありますが、どんな着方をしていてもゴージャス!と褒められるだけで、批判をされた事は無いのですが、やっぱりそれぞれの文化を尊重する国柄と言うものもありますし、着方にうるさい人がいないと言うのもやっぱり現実ではあります。

ではもし着物を着ていて着物警察に遭ってしまった場合、自分だったらどうするかな?と言うことをちょっと考えてみました。

まずその方が、その時洋服を着ていたにしろ着物を着ていたにしろ、「この人の着姿素敵!真似したいわ!」って思うようなお方でしたら、そのアドバイスをありがたく聞いておくのもいいかもしれません。逆にもしその方のその時の服が洋服にしろ着物にしろ自分のセンスと合わなかった場合・・(ぶっちゃけちょっとダサいって思っちゃった場合) 適当に「勉強になります」と流してその場を立ち去れば良いのではないかと思います。

着物警察と言うものも、調べてみたらわりと昭和の初期頃から形を変えて存在していたようで、ちょっと歴史が深いものではあるようですが、いつの時代でもどんなことにおいてもそう言った方たちは一定数出てくるのは自然なことかと思います。

フォーマルな席でない限りは、自分のために着ると言う形である程度プライドを持って生き生きと楽しそうに着ているのが1番だと思います。

洋服にしろ着物にしろ自分が大好きな服を着ているときは、自分に自信が満ち溢れていると思います。

ちなみに海外在住者は現地で着物デビューってのもアリだと思いますよ!最初はみんなに褒められると自信がつきます。こちらでは結構どんな格好でも褒められます 笑。そこで自信がつくまで練習してから日本で逆デビューってのもありかもですよ。

画像は、着物警察はペッパー警部みたいにこんなんだったら嬉しいなの理想画像。