「今日を限りに絵画は死んだ」
ここ数ヶ月ちょくちょく触っているAIアート制作midjourney.
YukikoさんのAI Art講座を受けてからはや数ヶ月経ちました。
いやはや面白い、最初の段階でもかなり度肝を抜かされましたが、今思えばあれは序章に過ぎなかったように思います。
バージョンアップするにつれてさらに具体的に物事捉え作品によっては写真ではないか?と見間違うほどのクオリティだったりすることもあります。
しかし、またある否定的な意見をいただいたりしてちょっとAIアートについて私の現時点での見解を話してみようかなと思った次第です。
「今日を限りに絵画は死んだ」
1行目に書いたこのセリフは1826年、カメラが世間に出現した際に画家ポール・ドラーシュ言った言葉とされています。
それまでの絵画とはどれだけ写実的に描けるかというのが重要でした。しかしカメラの登場によってそれ以上に写実的に描くことは人間には難しくなったのです。
しかし実際にアートはその後死んだのでしょうか?
答えは否。
それどころかアートは別の道を進み出しました。
マティスの登場です。
マティスは今までの絵画とは見たままの写実的なものを忠実に描いていた絵画とは違い、下手とかうまいとかでなく自分の心で感じたものをアウトプットする形で皆が思っていたアート位置付けそのものを変えた人物。
アートとは見たものそのものを写すカメラとは違う方向に進み出しました。
その後キュビズムなどで有名なピカソも然り、 カメラではあんな表現は到底無理ですね。
その後モダンアートは進み1960年台にアンディ・ウォーホルが登場。
彼のアート作品の特徴は大量に刷られたマリリンモンローの印刷物。大量に作られた洗剤の箱
同じように機械的に作られたものをアートと呼ぶ、それまではアートは崇高なアーティストによって1つ1つ描かれ、芸術のわかる限られたアーティストと評論家のものでした
しかしアンディは「全ての人に開かれたアートを」というポップアートの考えで、アートとアーティストの境界線を壊し、芸術品とそうでないものの境界を破壊してしまいました。
一体アートとは何なのか?
そこに来て、このAIアートが去年くらいから世間を賑わせて来ました。
暗号のような文字を入れればその文章にあった絵が一瞬のうちに作成されます。
それもかなり詳細なディテールで。
果たしてそれはアートなのか?
そんな時に私はアンディ・ウォーホルのこの言葉を思い出します。
「人が美術作品として買うなら、それは美術作品だ」
それは見る側がアートと思えばアート。そうでないと思えばアートでないとも取れる言葉。
私はこのAIアートは見えない大きな世界に広がっているいわばビッグデータの写真のようなものだと思っています。
それがアートと思うか思わないかは本人次第。
ただしかし、著作権や個人プライバシーの侵害などの問題で法律的にある程度の規定はされていくだろうなとも思うし、そこは守るべきだとは思います。
そしてアートは無くなるだろうか?
私はこの時、再度この言葉を思い出します。
「今日を限りに絵画は死んだ」
・・本当にこの後アートは死んだのだろうか?
いや、今こそ人間としてのアートの概念が新しく変わるる時では無いだろうか?
そしてその概念を覆すすごいアーティストが生まれてくるのでは無いだろうか?
今私はAIアートそのものよりも、その概念を何者かによって覆される瞬間を待っているように思うのです。
そしてこの度是非おすすめしたい本が
この本おもしろすぎて一気に読み終わりました。
アートとは何か?とてもわかりやすく面白く書かれています。