オタクとギャル
「今、いいレコード聴いてるから無理。」
高校の時の思い出として聞いた話なのだが、後輩が私に「遊びに出かけないか?」と誘いの電話をかけた時、私はこう言って断ったらしい。
オタク種 ギャル種。
世の中は大きく分けて この2つの人種がいると思っている。
ここでオタクとは、ギャルとは何かの定義を検索した結果こんなことが書いてあった。
ギャル:女の子。 若い女性。 特に、明るく社交的で、流行のファッションを取り入れるなどの行動を通じ、感覚を共有しようとする女性についていう (コトバンクより)
オタク(おたく、お宅)とは、自分の好きな事柄や興味のある分野に傾倒しすぎる人への呼称。ある物事へ一般人よりはるかに熱中している人・詳しい人のことである。(ニコニコ大百科より)
ちなみに私の中の定義はこうだ。
オタク種: 推し(自分の好きな事、または人物)への費やす時間が何よりの幸せ。
他人がそんな自分をどう思おうが割とどうでもいい。(というか1人にしてくれとさえ思う時がある)
推しと自分の関係に集中しすぎるあまり自分のルックス、流行のファッションやメイクなどとは疎遠になりがち。
大きなパーティやクラブや交流会など、よく知らない不特定多数の人が集まる中にいるとすごく疲れる。
なんとなく誰とでも仲良くの人付き合いが得意でない。
推しの事を理解してくれる人と出会うと、水を得た魚のようにいきいきと話し出す。
ギャル種: 人との繋がりが大事。社交的。
自分が人からどう見られているかが気になるので流行に敏感で自分のルックスにも気を遣う。恋愛も友達作りも活発に出来る。
誰とでも気兼ねなく話せ、中身の無い内容でもその場限りでも楽しく盛り上がることが出来る能力の持ち主。
この私の定義の場合 ギャルといっても女性だけとは限らない。
男性も高齢者もおネエも入る。見た目がギャルとかそういうものでもない。
というわけで私は前者の生粋のオタク系である。
ここがまず割と誤解されている事が多く、私はなぜか色々なところに出没して社交的であるギャルタイプだと思われがちだ。
私も大人なので、1度仕事のスイッチが入れば色々なところへも行くし、仕事で話せとなればそれなりに誰とでも話せる。
ただ、プライベートの時間はとにかく家にこもりたいし、仕事が終わったら1秒でも早く家につきたいし、そんな貴重なプライベートの時間にクラブや本当に中の良い友達以外の飲み会に来いと言われたら時給5000円以上出してくれないと行くきにもならない。でも多分時給5000円もらったら嬉しくて無理やりでもなくニヤニヤしていると思う。ただ、無給で(時には自分のお金も出して)こんなところに行ったしまったら冗談でなく心も身体も本当に疲れてしまう。
私の中で世の中にこのギャル種とオタク種がいるとわかった(少なくとも自分の中でカテゴライズ出来た)だけで本当に心が楽になった。
それが分かり始めたのはある程度歳をとってからの事、
若いうちはそれなりに人に合わせたりもして、頑張ってし 沢山人がいる場所にも行ってそれなりに仲良くしようとしていた。その結果、情緒が不安定になった時もあった。
でもギャル種から見れば交流に誘うのが彼らのやさしさの表現なので決して悪いわけではないと言うのもわかる。好意的な表現なのだ。気持ちは感謝している。自分の気の乗らない誘いでもこの人はギャル種だからからこういう事を親切にしてくれてるんだなと、とりあえず感謝もできるようになる。
でも自分がオタク種とわかって、その交流に参加すると精神的に疲れると知った時からちゃんとお誘いを断れるようになった。
自分の身の守り方がわかるだけでもかなり気持ちが楽になる。
話はちょっと脱線するが、といってもこんな集いはオタクは大好きなんだ!ともろ分かってる歌がクレージーケンバンドから出ていた。
アメ車と夜と本牧と
歌詞抜粋
♪YOKOSUKA KAWASAKI SAGAMIHARA FUSSA
SEYAにZAMA ATSUGI
いろんな街からいろんなアメ車が ブンブンブブンブン
誰もが自分のクルマの事しか興味がないから
週末の夜は自分と自分のお祭りなのさ
Night For V8 Monsters♪
どんなに集まってても結局みんな自分と自分の推しにしか興味がない
そうそう、よく言ってくれたよ横山剣!
そうなんだ
アイドルオタクだとしても、コンサートには人が大勢いるようでいて
中身は一人一人のオタクと推しの1対1の集合体、推しと個人個人のお祭りなんだよ。 結局コンサートはいっぱいいるようで個人個人の集合体なだけ やはりそこもオタク種なのだ
そんなある時、メルボルンは世界一長いロックダウンに入った。
内容としては
1日1回 5キロ圏内 1時間のみのエクササイズ 必要不可欠な医療や食品の買い物以外での外出禁止家族以外の人と会うの禁止
オタク種からしたら毎日誰にも邪魔されず推しに全ての時間を費やしても世間的に許される人生のボーナスタイムである。
このロックダウンではっきりオタク種とギャル種の違いが表れた。
オタク種の方々は自分の推しに費やす時間が多くなり、いい意味で家の中でいそがしそうで生き生きとしていた。
ギャル種の方々は人と実際に繋がれないため、かなり苦しそうだった。
私といえば 散歩中推しの雑草を探したり、フィルムカメラでで写真を撮ったり、着物や帯と戯れたり、本を読んだりと毎日この上ない充実感を味わっていた。 経済的な見通しや先行きの不安などはあったと思うのだが、それすらも忘れてしまうほどの心の中の安らぎの場所に初めてゆっくりと足を踏み入れた気持ちがした。
そうだ、今までは仕事に終われ 色々な雑音に誤魔化され、30年間放っておいた
「今、いいレコード聴いてるから無理。」と言い放った自分の中のオタ子とこれほどまで向き合える時間が老後を待たずに来たことは自分の人生の中での大きな転換期となった。
自分の中で疲れると言うのは育児や仕事の量だと思っていたが、実は自分を疲れさせていたのは 自分の気持ちを無視しての集まりや仲良くしなければいけないという協調的な圧力やみんなで頑張ろうとなってる雰囲気の中での同じ波長で頑張れない自分への自己嫌悪だったことがわかったのだ。
これが気持ちが分かってからセミナーや講演会、交流会なども行くのをやめてしまった。
そんな!その場に行ってこそ得るものもあるだろ?
それもごもっともかもしれないがそれ以上感じていた、その場の熱気に無理やり自分を持っていかなければという心の疲れにこのロックダウンで気付かされてしまってはもうその気持ちを無視することは出来ない。
ちなみに私の気持ちを代弁してくれている私より説明が上手い方のブログも見つけてしまった。https://www.yutanosaka.com/entry/kouenkai-nigate
尊敬する人の話はその方のブログや本を読めばその人が一対一で語ってくれる。それでいい。それで十分だ。
誤解しないでほしいのだが、人と会うのが嫌いでは決してない。仕事モードに切り替えれば大人数も集まりも大丈夫だしプライベートも自分の好きなものについて語り合える方、私がオタ系と熟知してくれている昔からの仲間、2.3人でフフフとひっそりと笑い合える仲間と話すのは大好きなのだ。
オタ系の方は理解していただけると思うのが、例えば「着物」1つとってもかなりジャンルはかなり細分化しているので、「あの人は着物好きだからこの方と繋がったら良いと思うで紹介しますわ」という優しいギャル系の方からの親切も実は全然違うジャンルが好きだったりして、洋服で言ったら服が好きだから仲良くしなよとシャネル系とギャルそん系とゴスロリ系とスケーター系をいきなり紹介されてもでも仲良くしなければならないというプレッシャーだけが残り、話すこともなく、でも親切で言ってくれてるのも重々理解しているのでこれが本当に困っちゃう時も実はあるんです。
大丈夫です。オタクは放っておいてくれても自分と似た匂いがする場所は光に集まる蛾のように自分の力で寄っていくんです。
なので今まで私のようにモヤモヤしていた方がいましたら、もしかしたらあなたは私と同じオタク種かもしれません。
大丈夫です。オタク種でも生きやすい世の中になって来てます。というかいつの間にか昭和にはネガティブなイメージだった「オタク」という言葉も今では1つのことに長けているポジティブなイメージに変わってません?
あなたに合ったオタク友もインターネットのおかげで世界中から探せる世の中です。別に友も今の時代 人間でなければなんてこともありません。
あなたのオタ人生が楽しいものでありますように・・。
きものを自分で着るようになるビギナーコース第二弾
きものを自分で着るようになるビギナーコース
計3ー4回(1回につき40ドル) 毎回教室でお支払いください。(カード可)
詳しい内容はこちらを良く読み、同意していただいた方のみご参加ください。
人数制限の関係で初回のみこちらで必要事項を記入し、お申しこみください。
じゅ袢、着物、半幅帯(浴衣に使うような幅15センチくらいの帯)の着方をお教えいたします。
10月5日、12日、19日 (水)名古屋帯のお太鼓締め方の1回参加ワークショップは11月9日 にする予定です。
時間は11:00〜12:30時くらいまで
場所は2/9 Parsons Rd Clayton South になります。少なくとも最初のは3回全て出席できる方がいいと思います。
この教室は「とりあえず自分で着物に着替えて名古屋を結ぶ方法」をざっとお教えします。「着付け」という言葉を使うとたいそうに聞こえますが、結局ただ洋服から和服に着替えるだけです。
その後ポイントレッスンでここ80年間くらい着物界で流行っている(?)スッキリ着付けのコツも別枠で後日行う予定です。
なぜスッキリ着付けを最初から教えてくれないのか?名古屋帯はオプションなのか?と思いかも知れませんが、それは私は着るに当たってそこまで重要な事だと思っていないので後で興味のある人のみやりたい人だけやればいい。と思っている理由からです。
それ以上に大切だと思っていることは「自分の持っている着物を正面から向き合う、対話する」
「着られるようになる」ではなく「着るようになる」です。
今まで数々の「昔は御免除まで取ったのに」とか「昔は習って着られたのに・・」という方にお会いしました。
自分も着物に目覚めて初めての時、自分で着られるようにと市で運営しているカルチャー教室に通ったことがありましたが、だんだんと上手に着られるようになるとなぜか講師を含めみんなの目標が「着られるようになる上を目指す御免除を取る」にいつしかすり替わっている事に気づき、そこで一気に冷めて教室を辞め、そこからは独学で勉強しました。
最終目標が「着られるようになる」だと着られるようになったところで満足し、大体着られるようになったところでやめてしまいます。その後1年に2、3回着ようと思うようでは手は思うように動かないですし、はっきり言って時間とお金の無駄になるのでそれであれば私の着付けサービスをお申し込み頂いた方が安上がりだし仕上がりもいいかと思います。笑
目標が「着るようになる」だと一生着るようになります。実はここにはエンドレスに楽しいことが待っているからです。 それは本当に「着るようになった」方のみが体験できる言葉にはできないスペシャルな経験が沢山あるのです。
厳しい事を言いますが、着物を着るという事を料理に例えるなら着物を着る教室はいわばただの「調理実習」です。みんなでワイワイやってその場では着れた気になるだけです。本当に着れるようになるのに重要なのはその後1人でどこまで着たかという事です。
肉じゃが1つとっても初めて包丁を握った人間が料理教室で肉じゃがの作り方を覚え、毎月少なくとも1回は家で作り続け、自分なりに美味しくなるコツがわかり、さらに何年後かにキムチを入れたりカレー味にしたりといわば着物でいうところに「着崩す」というステージまでいけるようになります。
1年に1回だけ台所に立つようでは料理はできるようにならないのと似ています。
なのでこのコースでは家で何回か着ていただき着姿を画像を送っていただくという宿題が出ます。ということで家でも着てもらうためレンタル等は一切しません。自分の持っている着物を一対一で正面から対話する時間を取っていただきます。
ここでは格やサイズなどは一切問わないので自分の持っている着物のクセ、着心地、見た目を心から体験してください。
亡くなったお母さんやおばあちゃんから頂いた着物は特に、その方と対話する素晴らしい機会です。腰紐と半幅帯がない方はうちの店でもお求めいただけます。とりあえず最初の4回は3本必要です。
最初はサイズも種類もわからないと思いますが、それで大丈夫です。
とりあえずあるもので始めましょう!
必要なもの
Facebookアカウント(グループを作りますが、個人情報などはグループ以外には一切出しません)
きもの(長着)
半幅帯(浴衣帯)名古屋帯まで参加される方は名古屋帯、帯枕、帯締め、帯揚げ
長襦袢 (または2部式襦袢)
腰紐3本 伊達締め2本
洗濯バサミ1個
(全てうちの店でも購入可能ですので欲しい方は教室が始まる前にご来店ください)
あと衿芯(これは簡単に作れます)
あとあれば コーリンベルト 帯板
お店のオープン中の日もありますので当日は中に見えても良いTシャツやキャミソール、ヒートテックにレギンスなどを履いてお越し下さい。
ワイヤー付きのブラではなくカップ付きのキャミソールなどが理想的です。
実家から沢山送られてきたけど何がなんだか分からないという方全て持ってきていただければ1時間60ドルでカウンセリングもやっておりますので事前にお申し込みください。
教室がスタートした時点ではどれを着たら良いかという質問に1人ひとりお答えするお時間が取れませんのでご了承くださいませ。
お申し込みはこちらから
こどもとしごと
今回は子供と仕事について書いてみようと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、私には子供が2人おります。
高一の娘と中一の息子です。2人ともオーストラリアで産まれております。
もともと私たちは地元浜松の隣町の同級生同士で結婚した2人でしたので、当初は自分がオーストラリアに行くとも思っていませんでしたし‘、それに加え母親になるとも全く想像しておりませんでしたし、家庭を築く夢を持っているわけでもありませんでした。
子供の件に関しては全く未来が見えないので犬でも飼ってそれでいいかなくらいに考えておりました。
それが人生の悪戯でオーストラリアへ旦那と移住が決定、その後1年で妊娠発覚。しかし、実は妊娠に関しては実は計画的でした。
日本に住んでいる時には子供も持つことに色々疑問を持っていたのですが、オーストラリアに住み始めた頃から「ここで産みたい、子供を育てたい」と思い始めている自分がいたのです。これはかなりの変化でした。
理由は色々あるのですが、ざっくり言うと、「子連れ母さんがレストランやら街やらどこでも出かけててすごく幸せそう」「知らん人でも赤ちゃん連れてるとすぐさまみんな助けてくれる」「ギャーギャーしてても笑顔の視線しか受けない」雰囲気と言いますか、世界と言いますか。
お母さんが生き生きしてるように見えたんですね。電車に老人や障害者が乗ってきたら椅子取りゲームならぬ 我先にと席を譲ろうとする椅子譲りゲーム。
困っている人がいたら誰でも手を差し伸べるのが当たり前の雰囲気のメルボルン。こんな場所で子供を育てたらどうなるのかなぁ、と思い始めている自分・・
んで旦那と相談で順調に妊娠、出産という運びとなりました。‘
そこまでは順調でしたが、出産手続き病院手続きから色々、オーストラリアでの生きるノウハウもままならない状況からのスタートでまぁ色々大変でしたがその件についてはまたいつか話します。
で、先に娘が産まれたのですが、この子がなかなか幼少期大変なお子で、とてもいろんなことに過敏でいらっしゃって人一倍の恥ずかしがり屋でした。スーパーに行って知らない人に微笑んで話しかけられたらギャン泣き、買い物なんてできやしない。
公園で枯葉が風に揺られて動いたらギャン泣き、知らない人と目があったらギャン泣き。私から1歩も離れられず、家から出られず、旦那に預けることもできず、1人の時間も皆無でした。お誕生会に招かれて行っても、知らない人がいると泣くので私1人レストランの外で娘を抱っこして佇む・・。マッチ売りの少女のようにレストランの外側から子供抱いて楽しそうなみんなを眺めて、いったいここに何しに来たんだ状態でした。その後3年後息子も産まれ、両親の助けもないのでそりゃまぁ大変大変。赤子の乳と糞にまみれて髪はボサボサ、着ているものはいつも乳で汚れてるTシャツ。
その頃、日本に住んでいた頃仲良くしていただいていた着物友達はどんどんスターの道を駆け上がり、フェイスブック越しに遠いキラキラしたお星様みたいにすごいなぁと眺めておりました。
自分の姿と比べてその華やかな世界を見ると自分何やってるんだろう・・
この地で何にも仕事のキャリアもないし・・毎日こんなドロドロでおしゃれのおの字もなく大好きな着物も着られず家事と育児で疲れてて・・と思うことも正直ありました。
その頃、一度友人の誘いで日本食レストランで夜働くことになったのですが、
まぁ娘が大変でバイトが入っている日は朝から「今日はマミーが行っちゃう日」と言いながら1日中ギャン泣き、旦那もほとほと困り果てて、バイトから帰ると娘は泣きつかれ、旦那は疲労困憊不機嫌で家の雰囲気は最悪。
もうその辺でこりゃダメだと辞めました。
で、ちょっとこのへんで考え方を変えてみたんですね。
産みたいと思ったのも自分、育てたいと思ったのも自分。全て自分から選んだ事、今すぐ働かなくてキャリアを積んでいく可能性はどんどん低くなるけど0%にはならない。
でも今のこの幼い時の子供たちの笑顔を見られる可能性は将来0%になる。
だったら中途半端に仕事だのキャリアだの思わずに、どうせ学校入ったら離れちゃうんだから、それまではとことん100%育児に真っ正面から付き合ってもいいんでないの?
人生80年だとしたら娘と息子の年齢差は3歳で、息子が小学校に行くのは5歳からだったら3+5の8年間、人生の10分の1、「母の愛とは何か」「何も相手に期待せずただ捧げる愛について」
をじっくり学ぶ修行だと思って愛について本気で取り組んでみる時間としてもいいのではないか?
幸いオーストラリアは子育て中の母には優しい政治の仕組みになっており、小さな子供がいれば飢え死にさせるような事はないだろうし、もう自分の事は後にしてこの8年間は修行としよう。
腹をくくりました。
その辺からまぁ大変ではあったけど気持ち的にはグジグジしなくなりました。
その頃、色々家庭の事情で経済的にもかなり大変で親にもめちゃくちゃ心配されましたが、まぁなんとかなるもんですね。笑
そこからまた数年経って、息子が幼稚園に入るころから、着物が着せられるのなら着付けお願いできるかしら?と知人に頼まれるようになり、小さいのがいるからそれでもいい方でしたらと了承を得てちょこちょこと自宅で着付けを始めました。その頃は独学で振袖着付けとふくら雀くらいまではできるレベルでしたのでまぁ普通の着付けはなんとか大丈夫ってな感じでスタートしたのですが、やり始めると面白くなってきて、もっとやりたくなって来てしまって「本格的に花嫁着付けまでできるようになりたい」と思い始めるようになり、日本に帰国の際に短期で着付けを教えていただける場所を探しまくりました。
その後、本当にラッキーな事に友人の紹介で地元で「子供連れて習いに来てもいいよ」と言っていただける方に出会い、子供をわらわら畳で遊ばせながら、マンツーマンで教えていただき花嫁衣装までなんとか2ヶ月で習得。
下の息子が小学校に入るまで悔いのないよう子育てを100%にする。という自分の中の決まりを作っていたので、晴れて息子が小学校に入学したその月にビジネス登録をしました。
小学校に入ったら育児は終わりか、と言ったら全然そんなことはないですが、それでも9時から3時半までフリーの時間が持てることやお友達との世界が広がって段々と私の元から離れていくことで時間の余裕ができました。
あんなに私の元から離れられなかった娘も小学2年生くらいから段々と変化が生まれ、シャイではありながらも1人で行動できる範囲がかなり大きくなりました。
そこからフォトグラファーのりなさんと出会い、七五三撮影企画など段々と着物スタイリストのお仕事をいただけるようになり現在に至ります。
大きかったのは、今まで近所のママ友だけだった世界がいきなり仕事という関係で子供の関係抜きで交際関係がビックバンのように広がって行ったこと。オーストラリア入国1年目で妊娠だったので、メルボルンのことも全く知らず、そこから8年間近所のスーパーと公園の周りしかウロウロしてなかったのですが、シティにはおしゃれなカフェがいっぱいある事、メルボルン北部にはファッショナブルな服屋さんがたくさんある事、メルボルン10年目くらいでやっと知りました。もともと自分の事を話すのは基本苦手ですが、私の仕事を知って信頼してくれ、いろんな新しい着物の仕事の相談も受けるようになりました。ほんとにありがたいです。
どうしても仕事で子供達の面倒が見れない時には旦那やママ友が沢山助けてすれました。
今となってはあんなに心配した娘も勝手に友達とどっか行っちゃうし、私より自立してるし、過ぎてみればあんなに悩んだのなんだったんだ・・という感じです。
あんなにたまひよ雑誌に穴か開くほど熟読し、小さいことでいちいち心配してた出来事も何年か過ぎてみれば「何かあったっけ?」程度の鼻くそみたいな事でした。
でもあの頃の自分に言いたいのは「あんた、あの時腹くくって子育てに全力を注いでおいてよかったね」って事です。
確かになんの着物キャリアもないとこから着物ビジネスをスタートしたのは39歳。海外で着物ビジネスやってる人なんて全然見つからないし、全てが手探り。それでもなんとか細々と食べていけるまでにはなりました。やっぱりキャリアの可能性は0%にはなってなかったと自分自身に証明できました。そして育児をやり切った悔いのない気持ちもあります。
まぁ人それぞれなので、産んですぐ仕事した方がハッピーの人もいるし、これは個人差ですので、人にもこうしろって感じではないです。
現在の自分はと言ったら多分今は私が一番自立していなくて、仕事終わったら早く家に帰って子供達に構ってもらいたいし、泊まりの出張がある日は夜は家族がいなくて寂しすぎて全然寝られないし、とにかく子供達に構って欲しくて色々ちょっかい出してる母です。笑
まだまだ母としての仕事は沢山残っておりますが、子供達も積極的に助けてくれる年になり、この地で出産し子育てを選択した事に1ミリの後悔もありません。そしてそうする事を承諾して協力し続けてくれている旦那さんにも感謝‘です。
来月には結婚20周年。これからの岡部家はどう変化していくのか?
いつもワクワクしております。
限定3名 きものに着替えるビギナーコースのご説明
ありがたい事にたくさんの方々が私のお店で着物を買ってくださり、その中ででも「まだ自分で着られないんです。でも欲しいんです。自分で着られるようになった時用に。」という方々も沢山いらっしゃいました。
国際女性デーにまとう水浅葱の色無地
外でも内でも着物は着物
通常ですと毎年この頃は毎週水曜日、メルボルンの有名縁日的な”Queen Victoria Night Market”に着物のポップアップショップを出して、お店に来ていただいたお客様に着物を着るのを体験していただいているのですが、
今年はコロナの影響でそちらも無くなってしまいました。残念ですが仕方ありません。
うちに来るお客様の大半は人生において着物をトラディショナルに着たことがないお客様ばかりで、着物の知識もほとんど無いに等しい方がほとんどです。 本当に知らない方だと
「これは何だ?」『Kimonoだよ』
「Kimonoって何だ?」『日本の伝統的な服なんだよ』
「へー!」って方もいらっしゃいます。
そんなところで着物を売っているのでもう日本ではあり得へん質問も多々投げかけられる感じでやっております。
その中でもよく受ける代表的な質問集
Q.着物着た女性のことをGeishaって言うんでしょ?
A.違いますよ、日本では着物を着た女性のことを「着物を着た女性」と言いますよ。
Q, 昔は日本で女性は着物着てたんだろ?その頃男は何着てたんだ?
A. 着物だよ。
Q.なんでこんなに長いの?日本人は背が低いのに
A. 日本では女性の着物は腰のところで紐で結んで長さを調節して着るために長いんです。
Q. あの着物着てる人の背中についてる四角いクッションみたいのは何のためだ?
A. お太鼓結びという帯の結び方なんです。背中を守るためではありませんよ。
こんなのがよく聞かれる質問です。
あまりに日本ではあり得ない質問が多いので逆に「あぁそう見えているんだなぁ」と色々勉強になってます。
ほとんどの人は着物っていうのはわかってもらえてるんです。それで「私着物大好き!」ってな感じで色々質問してくださります。質問がトンチンカンだとしても、たくさんの方に着物や日本が大好きと言ってもらえてここで着物屋をやっていてつくづく幸せだなぁと思います。 ほとんどの方は着物は家のナイトローブに、帯は部屋の飾りとして買っていかれるので、まぁ郷に入っては郷に従えでこの国なりのやり方で着物を楽しんでいただければ嬉しいと思っております。
やはり自分の国のものにちょとでも興味を持ってもらえたり「美しい」と言っていただけるのは本当に日本人として嬉しいですね。
そんな中で、 実はちょっとどころか最強に着物のことを美しい!と知ってくださってる、しかもそれをどんどんいろんな国に発信してくださってる最強な人たちがいるんです!
そんなすごい方々を今日は紹介したいと思います。
まずはAnji、日本在住ドイツ人
彼女のインスタをまず見てもらいたい!
https://www.instagram.com/salztokyo/
彼女のすごいところは日本人の現代の保守的な着物のやり方もちゃんとわかってるけど、海外からアンジーの着物スタイリングを求めてやって来る人にもちゃんとオリジナリティー溢れる表現が出来てる事。海外から来られる方って普段日本で着物を着てる人からすればあり得へん要望って事もたくさん起こるはず。でもその中で柔軟に対応しながらちゃんと彼女のスタイリングの特色を出してるところ。これって実はメチャクチャむずかしいんだよ!
次にSheila、日本在住イギリス人の着物研究家です。
https://www.instagram.com/kimonosheila/
まず彼女の着物文化の知識は半端ではない。本も出版されて日本 で講義もされています。
とにかく知識が半端じゃないです!!
こちらはシエラ自身のスタイリング本、サインもらっちゃった🎶
着物の知識がありすぎる着物愛好家は割と守りに入る着こなし傾向にありますが、彼女は絶対守りに入らない!それどころか新しい事にどんどんチャレンジしていってる。ずっと攻め続けている!私より年上だけどとってもチャーミングで着物の着姿も可愛い。
彼女の持っているそのアートセンスは日本とイギリスで培われたものなのでしょうか?
次にBilly、日本在住のドイツ人です。
https://www.instagram.com/biriinyan/
チェックしてもらいたいのは彼女のYoutube チャンネル。
https://www.youtube.com/c/BillyMatsunaga/featured
着物の知識を英語でも日本語でもとってもわかりやすく創意工夫にあふれた形で紹介してくださってます。 日本語の着物チャンネルで詳しい着物情報が学べるものは数あれど、着物の決まりと現代アレンジをここまで分かっていながら、こんなにも詳しく情報を日本語と英語で紹介しているのは彼女のチャンネルだけではないだろうか?
全て役に立つ情報ばかりです。
日本人で着物好きさんだったら彼女の英語動画見たら絶対英語も勉強できやすいと思うので是非英語勉強にもなるこのチャンネル見てください!
そしてイギリス在住のイギリス人Tia
https://www.instagram.com/tia_oguri/
個人的に黒人の方の着物姿を見るのが大好きな私なので、彼女のスタイリングと着物姿を見るのをいつも楽しみにしています。
最近発表された彼女の浴衣コレクションも彼女の独自性がそのまま生かされててすごい素敵なんです!
https://www.instagram.com/uberdandykimono/
彼女のバックグラウンドから影響された独自性溢れるクリエーションとクールなAttitudeが見事にマリアージュしてて彼女にしか創ることの出来ない世界観。クロスカルチャーファッションとは正にこのことだ!と思い知らされます。彼女の最近の浴衣コレクションUber Dandy Kimonoも要チェックです!
そしてポーランド在住Anna、
https://www.instagram.com/kimonoteka/
ポーランド語での着物本も出されています。
本出すまでに研究したことは数知れずだっただろうなぁ・・。
ちなみにBilly のyoutube チャンネルにこの前 Tia とAnneと私とBillyでイギリス、ポーランド、日本、オーストラリアを結んで生中継でライブトークをやらせていただきました。すごい時代になりましたね。
この素晴らしい方々全てに思うのは、きっと私のようなただ普通に日本で産まれちゃった日本人よりも人一倍いろんな努力をしたり、どーでも良いような誤解に苦労したり、思いもよらない見当違いなコメントなども沢山受けてきたのではないかと思うのです。
逆を言えヨーロッパで活躍してる日本人ソムリエさんがいたとして、文化の違う場所で頑張るためにはヨーロッパ人以上の努力をしないと周りに認められないと思うですよね。多分「お前には俺らの文化はわからない!」なんて言われたら私はそんなことはない、この人はその分努力してるんだ!って思ってしまうわけですよ。
私は日本人でなければ着物の事理解できないなんて1ミリも思わないし、彼女たちの努力と前向きな姿勢には本当に頭の下がる思いです。
あと私の個人的に思うところのある
「文化の盗用(Cultunal appropriation )」という言葉ね。
私は洋服を着ていて「他の文化の盗用するな」と言われた事がない。日本人以外の人が着物を着て文化の盗用と言われるなら私のような者が洋服を着ていても「文化の盗用」になるのではないか?それとも洋服だけが許可のいらない特別な衣服で他のものが違うというのなら、その考えこそが差別ではないか?と思ってしまうわけです。
どんな衣服でもそりゃ服装のマナーやドレスコードはあります。それはその場所に応じた適切な格好をするという事であって「どの国の誰が」というのはまた別の話だと思うんです。それ以上にその文化に敬意を示してくださって発信してくださってる面に目を向けたい!
私は素晴らしい着物文化を紹介してくださってるこの方々にありがとうと言いたいです。
ありがとーーーーー!!!
という訳で、外でも内でも着物は着物でした。
恋と愛は似て非なるもの
恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの。
大好きな美輪明宏さんの名言です。
言い換えれば恋とは「エゴ」、愛とは「思いやり」なのではないか?
と、前々からサラちゃんは思うとるわけでございます。
恋とは自分自身のエゴとの戦い、相手が思うように振り向いてくれない、違う異性と楽しそうに話しているのを見て感じる嫉妬・・。全て自分の期待するように相手が動いてくれない事への苛立ちと自己嫌悪の連続。それはそれは非効率的でとても苦しいものです。
だからと言って恋はするべきではないのでしょうか?
いやいや、苦しくもあるが恋に溺れる時こその美しさ、そこにある感動は本当に恋した事がある人にしかわかりません。めんどくさく全く効率の良くない事ばかりですが、それを経験した事のある人にしか分からない美しい感動がそこにあるのです。
まぁ前置きは長くなってしまいましたが着物もそうです。
私も着物に恋心を抱く前は、「あんな高いだけで効率の悪い衣服、着る意味が全く分からんわ。」と思っていました。
でも着物のキューピットは突然私の胸に矢を放って来たのです。関心度0から100に急に変わったのです。まさに恋に落ちる瞬間と同じです。そこから0から着方を学んで「着こなし」を学び それはそれは現代の洋服に比べて効率の悪い事ばかりですがその効率の悪さすらも美しく思えてしまう恋の魔力!
そこから20年経ちますが、今は恋と愛の狭間、まさに「恋愛中」です。
自分で絶対に纏いたい着物、私でなくてもいいから似合う美しい人に着てもらって幸せになってほしい着物、沢山あります。
でも私は全く着物に関心のない人に無理やり着物の良さを押し付ける気はないです。洋服が大好きだった私だから洋服でいいわ!って気持ちもすごいわかります、
さらにはもっと着物を着ている人を増やしたい!とも思っていません。 そんなことをしなくても素敵なものはいつの世の残るし、無理やりなこじつけの伝統はいつか自然に廃れるものです。
でも着たい!と思ってくれてる人には私のできる限りのお手伝いはしたいなといつも思っております。
私はまだまだ未熟で無知ですが、海外での苦労、お金がない時の苦労(今もあんまり無いけど)、ジロジロ見られる苦労(?)
私の自身に起こった経験からの乗り越え方は色々培って来たのではないかな?と思っています。
そんなこんなでこれからもインスタやブログを使って私の着物恋愛トークをぼちぼちとしていきたいと思います。
最後にもう1つ名言で今回の締めくくりにしたいと思います。
恋愛はチャンスではないと思う。
私はそれを意思だと思う。
ー 太宰 治 ー
なんでサラちゃんなの?
突然ですが私のSala Okabeというのはビジネス名です。
本名はオカベ マリと言います。
全然違います。
なのでメルボルに住んでいる私の友人には「マリ」と呼ぶ人と「サラ」と呼ぶ人2種類おられるので時々困惑されます。私的にはどっちで呼ばれようと構わんのですが、最近はサラちゃんの方がメジャーになって来たかな?と思います。
で、なんで名前を変えたのか?ってとこなんです。
私も出来るの事なら本名オカベ・マリで行きたかったのですが、ちょっと問題がありました。
15年前私は大阪に住んでいたんですが、その頃自己紹介をするたびに「ぷぷっ」と笑われていたのです。
そう、その当時大阪で絶大な人気番組「探偵ナイトスクープ」の秘書を務めておられる方が岡部まりさんでした。

なので病院に行って待合室で看護婦さんに「オカベ、オカベマリさん」なんて呼ばれようもんなら全員こちらを振り返る始末です。「中森、中森明菜さん」って呼ばれているようなもんです。
その振り返った方が私を見たときのがっかりした顔と言ったら・・。
そんなこんなでビジネスをスタートしようとなって自分のウェブサイトを作ろうと思ってネットで「オカベマリ」を検索したら出るわ出るわ探偵ナイトスクープ&岡部まりのオンパレード・・。
こんな中で私の名前を出したとしても検索のトップに上がってくるはずも、検索したい人が名前を入れて見つかりやすいはずもない!こんなところで「秘書・岡部まり」と張り合っててもしょうがない!と思い独自のビジネス名をつけることにしました。
もともと他の着物サイトを運営してた時もSalaは使っていたのですが、それをただ持って来てSala Okabe。
この名前の重要なところは名前に「L」が使われている事です。日本名のサラを英語表記する時、普通SARAで「R」になります。 なのでLが使われることは殆どない。私の名前をググった時にトップに来やすい。サイトを間違える可能性もぐっと減ります。だからと言ってまりで「Mali」にするとなんか名前っぽくないから却下でした。
あとに日本人にも外国人にも呼びやすく簡単な名前、Lがついているからと言ってLinda(リンダ)とかはこっぱずかしいし・・。
あとはどこか和服に関係したものの感じのサウンド「更紗(さらさ)」のサウンドも入れてSalaしました。
なのでいわゆるSEO対策ってやつです。
ただそれだけのお知らせでした。
タモリ倶楽部的な着物教室にはまっております。
メルボルンはロックダウンが絶好調に行われております!引きこもり生活第2ラウンドでございます。
最近過去最高にコロナの新規感染者が出ておりまして、今週から外出時のマスク着用が義務付けられるようになりました。違反したら$200ドル(1万5千円くらい?)の罰金・・おおう・・まさにNO MASK NO MONEY!
元々マスクを日常に全く着用しないお国柄でして、去年の今頃は花粉症などでマスクなんてして出かけようものなら、ばい菌を見るような目でギョッとされたのですが、この数カ月で世の中はすっかり変わってしまいました。
どのくらいのレベルで変わったかとたとえ話で説明しますと、日常の生活の中であまり外出時にサングラスをかけない日本人、常にかけてる人を見たら「あの人めっちゃカッコつけてるか芸能人かなんかかな?」とちょっと異様な目で見られていたのがいきなり数ヶ月後にはサングラス着用義務がお上から出て、外出したらみんながサングラス、サングラスしてないと冷たい視線を感じる・・「いやいや、ちょっと前までみんなおかしいって思ってたやん!」てな感じの異様な光景です。
さてさて、そんな中、私も仕事がまともに出来ない感じですが、それをいい口実に毎日楽しく遊んでおります。
遊んでいると言ってもトルソーちゃんに着付けしたり自分で着物を取っ替え引っ替え着て見たりと見た目には仕事してた時とあんまり変わらないという・・。
ただお客様の為に着付け考えてるか(仕事)自分の自己満足の為に着付けしてるか(遊び)その違いだけで、結局暇さえあれば着物を引っ張り出して来て色々なんかしております。1日着物とカメラ遊びに明け暮れていられたらどんなに楽しいか・・(いや、仕事でもやっとるやんけ・・)
てな感じで、このロックダウンでハマってることは「歴史着付け」でございます。

歴史着付けと言ってもこのような太秦映画村的な着付けでなく、

大正から昭和初期くらいの一般のご婦人達が着ていたような着物スタイルを探求して、実際やってみて、ただ1人でニヤニヤするという誰のなんの役にも立たない着付けなんですが、

この私のツボる世界に精通している最強ヲタ先生をインスタで見つけてしまいまして、

ブログを拝見させていただいたらトップからこれでお出迎えですよ。

もう私の心はノックアウトです。
私のタモリ倶楽部的な「どーでもいい事に無茶苦茶のめり込む精神」がここからもう燃え上がります。
いやぁ良い時代になりましたね、オンラインでこんな素敵な講座が世界のどこにいても受けられるなんて、しかもお値段も超良心的。
今まで3講座コンプリートで受けさせていただきました。
「元祖お太鼓講座」「帯板・帯枕講座」「昭和初期の奥様の着付け方講座」
感想を言わせていただくと、いやぁもう・・
本当にどーでもいい!笑
現代の着付けからしたら本当にどーでもいい事!
しかし個人的に絶賛感動中という内容になっておりました。笑
というのも、現代の着物というものの形が完成されたのが大体江戸の後期くらいでして、(それ以前は和服は色々形変わってるんですよ)そっから現在令和まで「着付けの流行」という形でスタイルの変化があったんです。昭和初期から昭和中期、今とでは着付けの流行が全然違うんです。和服というのは洋服と違い、とても二次元な衣服でありまして、着せる人、もしくは着る人がその形を作っていくんですね。着る時がパターン作りの役割をしているんです。帯が特にわかりやすいですね、

もともとただの一反木綿の帯がいろんな形にアレンジされていく。着物も着る時点で好きな形を作っていくんです。まさに「着る折り紙」なんです!
その中で私が一番好きなのが大正から昭和初期1910〜1920年頃にかけての着付けなんですが、何ていうか、もったりと、ふっくらと、優雅で女性の美しさを存分に引き出したそれはそれは美しい着付けなんですけど、現代の着物でそれをやってもあんまり美しく見えないのは今の着物のデザインは今の着付けが美しく見えるように出来ているからでしょうかね。
でもこの教えていただいた着付けでアンティーク着物を着ると、私の大好きな形に着付けが決まるんですよ!衿も無理やり出さなくてもゆったりと、おはしょりもあまりぴっちりする事なくもったりと体に沿うような着付け・・。
丸帯で元祖お太鼓結びをしてみました。

なんかちょっとこんな時代に近づいて来たかな?

ちなみにですが、この女性は黒紋付に襲着てますね。あの今でいう喪服って呼ばれるやつです。ほんとは黒紋付この女性のように襲を下に着て(もしくは比翼仕立てで)慶の席にも着られる着物なんですよ!私はいつかこれがやりたいのだ!
あとは教えていただいた「あの」衿芯さえあれば衿のゆったりカーブも完璧だわ!
せっかくなので家にあったアンティーク黒留を着てみたのですが、長着の中に着る襲(昔は着物を2枚重ねて着ていました)が倉庫にある事に気づいて、こんな私の自己満足の着物遊びなど、不要不急以外の何ものでもないので、襲を取りに行けずでとりあず1枚だけの長着で丸帯を元祖お太鼓にしてみました。黒留のお引きずりで着ていた頃のなのでかなり上まで柄があっておはしょり作ったら上が切れてしまいました!
でもこれこれー!私の理想の着付けスタイル。「アンティークにはこのスタイルが一番美しく見えるわー。」と勝手に自己満足に浸って潰れて夕日が沈んで失った事に気付く貴重な半日の時間・・。
着付け教室というものが確立される前のご婦人たちの着付けはそれはそれは優雅で自由で遊び心に満ち溢れているように思えます。
だってただの「着るもの」ですよ。そこに自分なりのおしゃれ心を盛り込むのは当然のこと。
いつの時代も女はその当時の流行を交えながら自分のおしゃれを楽しむのよね。
呼ばれるか呼ばれないかも定かでない、甥っ子と姪っ子と自分の娘と息子のあるかないかもわからない結婚式のために着ようと思っているアンティーク黒留袖やら色留袖やらが溜まって着ております。 溜まりに溜まって来て、私も花嫁に合わせてお色直しをしないと間に合わないかもしれません。
そんな時代を超えた着物ヲタワールド、ぜひ体験してみてください。

あ、ちなみにお洋服はこんな感じの50年代スタイルが一番好きです!