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昼夜帯への愛

少し前、こんな可愛い柄の帯が紛れ込んできました。

可愛い牡丹の柄の名古屋帯。 でもこの名古屋帯、ちょっとこのままで結ぶと変なことになっちゃうんです。

ほらね、現代の名古屋帯のお太鼓の結び方をするとお花が下を向いちゃう。

こういう古い帯を見つけたらまず「お前はそんな姿で生まれてきたのではないのだろう?」と帯に語りかけてあげてください。

もしかしたら素性を語ってくれるかもしれません。

まずは腹を割って話すことから始まります。

腹を開いて(解体して)みるとやはりほんとは名古屋帯になりたくて生まれたのではなく、昼夜帯としてこの世に生を受けたことがわかります。

しかもこの帯の手の方が実はタレの印である界切り線がついていた。

昼夜帯は腹合わせ帯とも呼ばれ、裏も表も使えるいわゆるリバーシブル帯です。そしてもう現代には新しいものはありません。 大正時代頃まで使われていた昼夜帯や丸帯はだんだんと姿を消し、反対に布が少なくて済む、簡単に自分で締められるとの理由からその後開発された後に名古屋帯の爆発的な流行によってだんだんと姿を消していきます。元々名古屋帯の生地で名古屋帯になった子もいれば、このように昔の昼夜帯を仕立て直して名古屋帯になった子もいます。 柄の向きがどうもおかしい昔の名古屋があったらちょっと疑ってかかってもいいかもです。

今では帯のほとんどが半幅帯、名古屋帯、袋帯の3種類となり、昼夜のいろいろな結び方を教える教科書も現代のものはありません。絶滅してしまった昼夜帯ですが時々、アンティーク着物ショップにあったり、名古屋帯に仕立て直されたであろうアンティーク帯は結構見つかります。

そんな昔の結び方をした帯の特徴はタレからちょっと上の柄が逆さまな事。(この場合赤丸の柄が逆さま)帯によっては逆さまの柄の位置が違うこともあります。

逆さまだと大体昼夜帯、刺繍や織が豪華な帯は丸帯です。 丸帯は流石に重いので普段のお出かけというとり晴れ着用になります。現代で丸帯を使うシーンがあるとするなら花嫁さんのお引きくらいなものでしょうか。(私は使ってるけど 笑)

そんなこんなでこの名古屋帯をまた昼夜に再生させる計画をずっと練っていたのでした。

色々考えてこの帯に選んだ相手が如源の黒繻子。

アンティークマニアでしたらここで「あ〜!如源ね!」ってなるのでしょうか。

大体こんなマーク見たことある人いるかもしれません。

昔のものなので反対から読み「如源」です。

この如源の黒繻子は中国からやってきた織物で、今でこそ「Made In China」

と聞くと、もしかして安物?と思ってしまうかもですが、その昔、中国はとても優れた紡績技術を持っていました。 呉服の「呉」も実は中国。

呉服の本当の意味は「海外からやって来ためっちゃいい舶来生地で作った高級服」という意味でしたがいつしか着物全般の店を指すようになったそう。

ですのでこの黒繻子も昔は舶来の高級ブランドの証だったと思われます。

これみよ!とタレに現れる「金陵」の刺繍文字 今でいうプラダやヴィトンのロゴをこれみよがしに見せて歩くファッショニスタとなんや変わらないのではないでしょうか?

で、夜な夜なNetflix を観ながらチクチク・・三日かけて黒繻子と牡丹の柄の生地と合わせました。帯芯もちょっと足しました。

それで引き抜き結びで結んでみたら・・

ええ感じやーーーん! 前の胴にはアンニュイに横たわる一輪。

お太鼓部には紫の一輪どーーん! タレ先にはドヤ顔の如源ロゴ。

これぞ昼夜の真髄!みたいな帯になりました。

ちなみに普通に帯枕を使って現代のお太鼓に結んだらピンクの牡丹が出て来ました。

余談なのですが、私はこの名古屋帯+お太鼓が現代の令和でも流行の中心で大きな顔をしているのがほんと納得いかなくて、あんなに使い勝手の悪い帯、早く次の流行が来て無くなってしまえ!といつも切に思っているのです。

理由は本来女性誰もが持つ創造性を奪ってしまうから。

昼夜帯や丸帯しかなかった時代の着物の後ろ姿はいろんな個性的な結びがあって、人によってはぴっちりと、人によってはゆったりと、いろんな結びをどんどん発展させさぞや楽しい時代だったと思います。

(昔のいろんな帯結びをみたい方は「都風俗化粧伝」を画像検索してみてね!)

実際にいろんな結びを知りたい場合はまゆなべさんの講座がおすすめ。

それに引き換え名古屋帯はアレンジのききにくい長さと形、今はほとんどが全く個性のない四角ばかり・・ぴっちりしていなくては悪と言わんばかりの後ろ姿・・

面白くない・・。

これをヘアスタイルに例えてみます。

今まで自由にいろんなヘアスタイルを楽しんでいた時代に大正時代の誰かさんがお団子ヘアネットを考案したとします。 誰でも簡単にお団子ができる。

めちゃくちゃ流行って今までの自由なヘアスタイルはどんどん廃れお団子ヘアがマジョリティに。そのうちヘアアレンジ教室なるものが現れ、ぴっちり丸い一糸乱れぬお団子をヘアアレンジ教室で叩き込まれ、乱れたお団子はダメ扱い。100年経った今でも振袖以外の普段着物の時はただの丸いお団子ばかり・・そんなのめちゃくちゃつまんないですよね?まだ半幅帯の方が面白い。

と思ってたら最近大人の兵児帯など段々とまた女性の創造性を応援するような帯が出てきたではありませんか! 100年経ってあの昼夜帯の時代のように好きなように結んで楽しむ、そんな帯たちが主流になって名古屋のお太鼓時代から前に進んで欲しいのです!

そんなことを切に思いながら、この昼夜帯を締めたのでした。

それでも人間はアートを止めない

「今日を限りに絵画は死んだ」

ここ数ヶ月ちょくちょく触っているAIアート制作midjourney.

YukikoさんのAI Art講座を受けてからはや数ヶ月経ちました。

いやはや面白い、最初の段階でもかなり度肝を抜かされましたが、今思えばあれは序章に過ぎなかったように思います。

バージョンアップするにつれてさらに具体的に物事捉え作品によっては写真ではないか?と見間違うほどのクオリティだったりすることもあります。

しかし、またある否定的な意見をいただいたりしてちょっとAIアートについて私の現時点での見解を話してみようかなと思った次第です。

「今日を限りに絵画は死んだ」

1行目に書いたこのセリフは1826年、カメラが世間に出現した際に画家ポール・ドラーシュ言った言葉とされています。

それまでの絵画とはどれだけ写実的に描けるかというのが重要でした。しかしカメラの登場によってそれ以上に写実的に描くことは人間には難しくなったのです。

しかし実際にアートはその後死んだのでしょうか?

答えは否。

それどころかアートは別の道を進み出しました。

マティスの登場です。

マティスは今までの絵画とは見たままの写実的なものを忠実に描いていた絵画とは違い、下手とかうまいとかでなく自分の心で感じたものをアウトプットする形で皆が思っていたアート位置付けそのものを変えた人物。

アートとは見たものそのものを写すカメラとは違う方向に進み出しました。

その後キュビズムなどで有名なピカソも然り、 カメラではあんな表現は到底無理ですね。

その後モダンアートは進み1960年台にアンディ・ウォーホルが登場。

彼のアート作品の特徴は大量に刷られたマリリンモンローの印刷物。大量に作られた洗剤の箱

同じように機械的に作られたものをアートと呼ぶ、それまではアートは崇高なアーティストによって1つ1つ描かれ、芸術のわかる限られたアーティストと評論家のものでした

しかしアンディは「全ての人に開かれたアートを」というポップアートの考えで、アートとアーティストの境界線を壊し、芸術品とそうでないものの境界を破壊してしまいました。

一体アートとは何なのか?

そこに来て、このAIアートが去年くらいから世間を賑わせて来ました。

暗号のような文字を入れればその文章にあった絵が一瞬のうちに作成されます。

それもかなり詳細なディテールで。

果たしてそれはアートなのか?

そんな時に私はアンディ・ウォーホルのこの言葉を思い出します。

「人が美術作品として買うなら、それは美術作品だ」

それは見る側がアートと思えばアート。そうでないと思えばアートでないとも取れる言葉。

私はこのAIアートは見えない大きな世界に広がっているいわばビッグデータの写真のようなものだと思っています。

それがアートと思うか思わないかは本人次第。

ただしかし、著作権や個人プライバシーの侵害などの問題で法律的にある程度の規定はされていくだろうなとも思うし、そこは守るべきだとは思います。

そしてアートは無くなるだろうか?

私はこの時、再度この言葉を思い出します。

「今日を限りに絵画は死んだ」

・・本当にこの後アートは死んだのだろうか?

いや、今こそ人間としてのアートの概念が新しく変わるる時では無いだろうか?

そしてその概念を覆すすごいアーティストが生まれてくるのでは無いだろうか?

今私はAIアートそのものよりも、その概念を何者かによって覆される瞬間を待っているように思うのです。

そしてこの度是非おすすめしたい本が

「13歳からのアート思考」

この本おもしろすぎて一気に読み終わりました。

アートとは何か?とてもわかりやすく面白く書かれています。

着物界の逆襲!グローバル視点で勢いよく飛び出せ! 着物の未来への道!〜海外からの攻めと日本の反撃策〜

今回は、日本の伝統文化である着物の未来展望について、考えてみたいと思います。海外からの攻めと日本の反撃策、どんな結末が待っているのでしょうか?さあ、一緒に探ってみましょう。

まず、海外からの攻め!着物の魅力を知らない人々に向けて、我々はアクションを起こさなければなりません。そこで、着物体験イベントを開催することにしました。日本文化センターに挑戦し、着物着付け体験をする外国人観光客たちをお出迎え!彼らに着物の魅力を伝えるために全力を尽くします。

さらに、SNSを活用して海外に着物の魅力をアピールします。美しい着物の写真を投稿し、ハッシュタグで世界中のファッション好きたちを引き付けましょう。彼らが「着物ってスゴい!」と思ってくれたら、着物のデザインにも力を入れる必要があります。外国人の好みに合わせて、新しい柄やスタイルを取り入れるのです!遊び心を持った着物で、海外のファッションシーンを盛り上げましょう。

ところで、日本からの反撃策も見逃せません。まず、着物の普及に力を入れるべきです!若い世代にも着物の魅力を伝えるために、学校での着物着付け授業を提案してみました。そして、教師たちには「着物の着付けについて、テストがあります!」と宣言してみました。着物の良さを伝えるチャンスですね!

さらに、国際交流の一環として、外国人観光客に着物を無料でレンタルするプログラムを立ち上げました。おもてなしの心で、着物を着た外国人観光客が、日本の街を華やかに彩ってくれることでしょう。彼らが着物について質問をしてきたら、私たちが自信満々に答えられるよう、着物の知識を深める勉強会を開催することも検討中です。どんな難しい質問にも対応できる着物ガチ勢になりましょう!

さらに、海外の人々にも楽しんでもらえるよう、着物にちょっとしたユーモアを取り入れてみるのも一つの手かもしれません。例えば、日本の伝統的な柄には隠れたストーリーがありますよね。そのストーリーを面白く解説する動画を作ったり、着物のデザインに遊び心をプラスしてみたりするのです。海外の人々が「着物は楽しい!」と感じてくれたら、明るい未来が待っています!

最後に、着物業界全体の連携が不可欠です。業界団体や関連組織が力を合わせ、情報共有や協力体制を築くことで、着物の普及活動がより効果的になるでしょう。また、着物の素材や製造プロセスにおいて環境に配慮した取り組みを進めることも大切です。持続可能な着物業界を目指し、地球環境にやさしい着物を提供することで、世界中の人々に愛されることができるでしょう。

今回は、着物の将来展望について、海外からの攻めと日本の反撃策を考えてみました。着物は日本の誇りであり、文化遺産です。海外からの注目を集め、世界中で愛される存在になるために、私たち一人ひとりが行動を起こすことが大切です。着物の魅力を広め、笑顔あふれる未来を作りましょう。それでは、次回のブログでお会いしましょう。さようなら。

・・・と、ここまで読まれた方。何かお気づきになったでしょうか?

これ、実は全てChat GPTに着物の将来展望と海外視点からの対策としてブログ風に書いてとお願いしたものです。実は何も開催していませんし、何も行動していません 笑

タイトルもこの記事に対してコピーライター風に考えてもらいました。

はっきり言って和装業界に携わっている人にはこのレベルでは当たり前の答えかもしれません。でもChatGPTさんにグローバルな視点で着物をどう発展させていくかの質問に彼なりに答えてくれたように思いますね。まだまだChatGPTは英語に比べ日本語は弱いと言いますが、それでもこのレベルで日本語で瞬時に答えを出してくるのはすごいです。

数年後のこれが一体どんな風に変貌を遂げているのか、この業界にどれだけAIが入ってくるのか・・目を背けたくなる人もいるかもですがもう止めることはできないでしょうね。ちょっと怖いけどワクワクします。

日本の技術がそれを本当に愛している方達によって世界に広まりますように。、もう止まらないAIの進化とともに。

ちなみに挿絵もA Iにお願いして描いていただきました。

オタクとギャル

「今、いいレコード聴いてるから無理。」

高校の時の思い出として聞いた話なのだが、後輩が私に「遊びに出かけないか?」と誘いの電話をかけた時、私はこう言って断ったらしい。

オタク種 ギャル種。

世の中は大きく分けて この2つの人種がいると思っている。

 ここでオタクとは、ギャルとは何かの定義を検索した結果こんなことが書いてあった。

ギャル:女の子。 若い女性。 特に、明るく社交的で、流行のファッションを取り入れるなどの行動を通じ、感覚を共有しようとする女性についていう (コトバンクより)

オタク(おたく、お宅)とは、自分の好きな事柄や興味のある分野に傾倒しすぎる人への呼称。ある物事へ一般人よりはるかに熱中している人・詳しい人のことである。(ニコニコ大百科より)

ちなみに私の中の定義はこうだ。

オタク種: 推し(自分の好きな事、または人物)への費やす時間が何よりの幸せ。

他人がそんな自分をどう思おうが割とどうでもいい。(というか1人にしてくれとさえ思う時がある)

推しと自分の関係に集中しすぎるあまり自分のルックス、流行のファッションやメイクなどとは疎遠になりがち。

大きなパーティやクラブや交流会など、よく知らない不特定多数の人が集まる中にいるとすごく疲れる。

なんとなく誰とでも仲良くの人付き合いが得意でない。

推しの事を理解してくれる人と出会うと、水を得た魚のようにいきいきと話し出す。

ギャル種: 人との繋がりが大事。社交的。

自分が人からどう見られているかが気になるので流行に敏感で自分のルックスにも気を遣う。恋愛も友達作りも活発に出来る。

誰とでも気兼ねなく話せ、中身の無い内容でもその場限りでも楽しく盛り上がることが出来る能力の持ち主。

この私の定義の場合 ギャルといっても女性だけとは限らない。

男性も高齢者もおネエも入る。見た目がギャルとかそういうものでもない。

というわけで私は前者の生粋のオタク系である。

ここがまず割と誤解されている事が多く、私はなぜか色々なところに出没して社交的であるギャルタイプだと思われがちだ。

私も大人なので、1度仕事のスイッチが入れば色々なところへも行くし、仕事で話せとなればそれなりに誰とでも話せる。

ただ、プライベートの時間はとにかく家にこもりたいし、仕事が終わったら1秒でも早く家につきたいし、そんな貴重なプライベートの時間にクラブや本当に中の良い友達以外の飲み会に来いと言われたら時給5000円以上出してくれないと行くきにもならない。でも多分時給5000円もらったら嬉しくて無理やりでもなくニヤニヤしていると思う。ただ、無給で(時には自分のお金も出して)こんなところに行ったしまったら冗談でなく心も身体も本当に疲れてしまう。

私の中で世の中にこのギャル種とオタク種がいるとわかった(少なくとも自分の中でカテゴライズ出来た)だけで本当に心が楽になった。

それが分かり始めたのはある程度歳をとってからの事、

若いうちはそれなりに人に合わせたりもして、頑張ってし 沢山人がいる場所にも行ってそれなりに仲良くしようとしていた。その結果、情緒が不安定になった時もあった。

でもギャル種から見れば交流に誘うのが彼らのやさしさの表現なので決して悪いわけではないと言うのもわかる。好意的な表現なのだ。気持ちは感謝している。自分の気の乗らない誘いでもこの人はギャル種だからからこういう事を親切にしてくれてるんだなと、とりあえず感謝もできるようになる。

でも自分がオタク種とわかって、その交流に参加すると精神的に疲れると知った時からちゃんとお誘いを断れるようになった。

自分の身の守り方がわかるだけでもかなり気持ちが楽になる。

話はちょっと脱線するが、といってもこんな集いはオタクは大好きなんだ!ともろ分かってる歌がクレージーケンバンドから出ていた。

アメ車と夜と本牧と

歌詞抜粋

♪YOKOSUKA KAWASAKI SAGAMIHARA FUSSA
SEYAにZAMA ATSUGI
いろんな街からいろんなアメ車が ブンブンブブンブン
誰もが自分のクルマの事しか興味がないから
週末の夜は自分と自分のお祭りなのさ
Night For V8 Monsters♪

どんなに集まってても結局みんな自分と自分の推しにしか興味がない

そうそう、よく言ってくれたよ横山剣!

そうなんだ

アイドルオタクだとしても、コンサートには人が大勢いるようでいて

中身は一人一人のオタクと推しの1対1の集合体、推しと個人個人のお祭りなんだよ。 結局コンサートはいっぱいいるようで個人個人の集合体なだけ やはりそこもオタク種なのだ

そんなある時、メルボルンは世界一長いロックダウンに入った。

内容としては

1日1回 5キロ圏内 1時間のみのエクササイズ 必要不可欠な医療や食品の買い物以外での外出禁止家族以外の人と会うの禁止

オタク種からしたら毎日誰にも邪魔されず推しに全ての時間を費やしても世間的に許される人生のボーナスタイムである。

このロックダウンではっきりオタク種とギャル種の違いが表れた。

オタク種の方々は自分の推しに費やす時間が多くなり、いい意味で家の中でいそがしそうで生き生きとしていた。

ギャル種の方々は人と実際に繋がれないため、かなり苦しそうだった。

私といえば 散歩中推しの雑草を探したり、フィルムカメラでで写真を撮ったり、着物や帯と戯れたり、本を読んだりと毎日この上ない充実感を味わっていた。 経済的な見通しや先行きの不安などはあったと思うのだが、それすらも忘れてしまうほどの心の中の安らぎの場所に初めてゆっくりと足を踏み入れた気持ちがした。

そうだ、今までは仕事に終われ 色々な雑音に誤魔化され、30年間放っておいた

「今、いいレコード聴いてるから無理。」と言い放った自分の中のオタ子とこれほどまで向き合える時間が老後を待たずに来たことは自分の人生の中での大きな転換期となった。

自分の中で疲れると言うのは育児や仕事の量だと思っていたが、実は自分を疲れさせていたのは 自分の気持ちを無視しての集まりや仲良くしなければいけないという協調的な圧力やみんなで頑張ろうとなってる雰囲気の中での同じ波長で頑張れない自分への自己嫌悪だったことがわかったのだ。

これが気持ちが分かってからセミナーや講演会、交流会なども行くのをやめてしまった。

そんな!その場に行ってこそ得るものもあるだろ?

それもごもっともかもしれないがそれ以上感じていた、その場の熱気に無理やり自分を持っていかなければという心の疲れにこのロックダウンで気付かされてしまってはもうその気持ちを無視することは出来ない。

ちなみに私の気持ちを代弁してくれている私より説明が上手い方のブログも見つけてしまった。https://www.yutanosaka.com/entry/kouenkai-nigate

尊敬する人の話はその方のブログや本を読めばその人が一対一で語ってくれる。それでいい。それで十分だ。

誤解しないでほしいのだが、人と会うのが嫌いでは決してない。仕事モードに切り替えれば大人数も集まりも大丈夫だしプライベートも自分の好きなものについて語り合える方、私がオタ系と熟知してくれている昔からの仲間、2.3人でフフフとひっそりと笑い合える仲間と話すのは大好きなのだ。

オタ系の方は理解していただけると思うのが、例えば「着物」1つとってもかなりジャンルはかなり細分化しているので、「あの人は着物好きだからこの方と繋がったら良いと思うで紹介しますわ」という優しいギャル系の方からの親切も実は全然違うジャンルが好きだったりして、洋服で言ったら服が好きだから仲良くしなよとシャネル系とギャルそん系とゴスロリ系とスケーター系をいきなり紹介されてもでも仲良くしなければならないというプレッシャーだけが残り、話すこともなく、でも親切で言ってくれてるのも重々理解しているのでこれが本当に困っちゃう時も実はあるんです。

大丈夫です。オタクは放っておいてくれても自分と似た匂いがする場所は光に集まる蛾のように自分の力で寄っていくんです。

なので今まで私のようにモヤモヤしていた方がいましたら、もしかしたらあなたは私と同じオタク種かもしれません。

大丈夫です。オタク種でも生きやすい世の中になって来てます。というかいつの間にか昭和にはネガティブなイメージだった「オタク」という言葉も今では1つのことに長けているポジティブなイメージに変わってません?

あなたに合ったオタク友もインターネットのおかげで世界中から探せる世の中です。別に友も今の時代 人間でなければなんてこともありません。

あなたのオタ人生が楽しいものでありますように・・。

きものを自分で着るようになるビギナーコース第二弾

きものを自分で着るようになるビギナーコース
計3ー4回(1回につき40ドル) 毎回教室でお支払いください。(カード可)
詳しい内容はこちらを良く読み、同意していただいた方のみご参加ください。
人数制限の関係で初回のみこちらで必要事項を記入し、お申しこみください。

じゅ袢、着物、半幅帯(浴衣に使うような幅15センチくらいの帯)の着方をお教えいたします。
10月5日、12日、19日 (水)名古屋帯のお太鼓締め方の1回参加ワークショップは11月9日 にする予定です。
時間は11:00〜12:30時くらいまで
場所は2/9 Parsons Rd Clayton South になります。少なくとも最初のは3回全て出席できる方がいいと思います。
この教室は「とりあえず自分で着物に着替えて名古屋を結ぶ方法」をざっとお教えします。「着付け」という言葉を使うとたいそうに聞こえますが、結局ただ洋服から和服に着替えるだけです。

その後ポイントレッスンでここ80年間くらい着物界で流行っている(?)スッキリ着付けのコツも別枠で後日行う予定です。

なぜスッキリ着付けを最初から教えてくれないのか?名古屋帯はオプションなのか?と思いかも知れませんが、それは私は着るに当たってそこまで重要な事だと思っていないので後で興味のある人のみやりたい人だけやればいい。と思っている理由からです。
それ以上に大切だと思っていることは「自分の持っている着物を正面から向き合う、対話する」
「着られるようになる」ではなく「着るようになる」です。
今まで数々の「昔は御免除まで取ったのに」とか「昔は習って着られたのに・・」という方にお会いしました。
自分も着物に目覚めて初めての時、自分で着られるようにと市で運営しているカルチャー教室に通ったことがありましたが、だんだんと上手に着られるようになるとなぜか講師を含めみんなの目標が「着られるようになる上を目指す御免除を取る」にいつしかすり替わっている事に気づき、そこで一気に冷めて教室を辞め、そこからは独学で勉強しました。
最終目標が「着られるようになる」だと着られるようになったところで満足し、大体着られるようになったところでやめてしまいます。その後1年に2、3回着ようと思うようでは手は思うように動かないですし、はっきり言って時間とお金の無駄になるのでそれであれば私の着付けサービスをお申し込み頂いた方が安上がりだし仕上がりもいいかと思います。笑
目標が「着るようになる」だと一生着るようになります。実はここにはエンドレスに楽しいことが待っているからです。 それは本当に「着るようになった」方のみが体験できる言葉にはできないスペシャルな経験が沢山あるのです。
厳しい事を言いますが、着物を着るという事を料理に例えるなら着物を着る教室はいわばただの「調理実習」です。みんなでワイワイやってその場では着れた気になるだけです。本当に着れるようになるのに重要なのはその後1人でどこまで着たかという事です。
肉じゃが1つとっても初めて包丁を握った人間が料理教室で肉じゃがの作り方を覚え、毎月少なくとも1回は家で作り続け、自分なりに美味しくなるコツがわかり、さらに何年後かにキムチを入れたりカレー味にしたりといわば着物でいうところに「着崩す」というステージまでいけるようになります。
1年に1回だけ台所に立つようでは料理はできるようにならないのと似ています。
なのでこのコースでは家で何回か着ていただき着姿を画像を送っていただくという宿題が出ます。ということで家でも着てもらうためレンタル等は一切しません。自分の持っている着物を一対一で正面から対話する時間を取っていただきます。
ここでは格やサイズなどは一切問わないので自分の持っている着物のクセ、着心地、見た目を心から体験してください。
亡くなったお母さんやおばあちゃんから頂いた着物は特に、その方と対話する素晴らしい機会です。腰紐と半幅帯がない方はうちの店でもお求めいただけます。とりあえず最初の4回は3本必要です。
最初はサイズも種類もわからないと思いますが、それで大丈夫です。
とりあえずあるもので始めましょう!
必要なもの
Facebookアカウント(グループを作りますが、個人情報などはグループ以外には一切出しません)
きもの(長着)
半幅帯(浴衣帯)名古屋帯まで参加される方は名古屋帯、帯枕、帯締め、帯揚げ
長襦袢 (または2部式襦袢)
腰紐3本 伊達締め2本
洗濯バサミ1個
(全てうちの店でも購入可能ですので欲しい方は教室が始まる前にご来店ください)
あと衿芯(これは簡単に作れます)
あとあれば コーリンベルト 帯板
お店のオープン中の日もありますので当日は中に見えても良いTシャツやキャミソール、ヒートテックにレギンスなどを履いてお越し下さい。
ワイヤー付きのブラではなくカップ付きのキャミソールなどが理想的です。
実家から沢山送られてきたけど何がなんだか分からないという方全て持ってきていただければ1時間60ドルでカウンセリングもやっておりますので事前にお申し込みください。
教室がスタートした時点ではどれを着たら良いかという質問に1人ひとりお答えするお時間が取れませんのでご了承くださいませ。

お申し込みはこちらから

https://www.picktime.com/salaokabekimono

外でも内でも着物は着物

通常ですと毎年この頃は毎週水曜日、メルボルンの有名縁日的な”Queen Victoria Night Market”に着物のポップアップショップを出して、お店に来ていただいたお客様に着物を着るのを体験していただいているのですが、

今年はコロナの影響でそちらも無くなってしまいました。残念ですが仕方ありません。

うちに来るお客様の大半は人生において着物をトラディショナルに着たことがないお客様ばかりで、着物の知識もほとんど無いに等しい方がほとんどです。 本当に知らない方だと

「これは何だ?」『Kimonoだよ』

「Kimonoって何だ?」『日本の伝統的な服なんだよ』

「へー!」って方もいらっしゃいます。

そんなところで着物を売っているのでもう日本ではあり得へん質問も多々投げかけられる感じでやっております。

その中でもよく受ける代表的な質問集

Q.着物着た女性のことをGeishaって言うんでしょ?

A.違いますよ、日本では着物を着た女性のことを「着物を着た女性」と言いますよ。

Q,  昔は日本で女性は着物着てたんだろ?その頃男は何着てたんだ?

A. 着物だよ。

Q.なんでこんなに長いの?日本人は背が低いのに

A. 日本では女性の着物は腰のところで紐で結んで長さを調節して着るために長いんです。

Q. あの着物着てる人の背中についてる四角いクッションみたいのは何のためだ?

A. お太鼓結びという帯の結び方なんです。背中を守るためではありませんよ。

こんなのがよく聞かれる質問です。

あまりに日本ではあり得ない質問が多いので逆に「あぁそう見えているんだなぁ」と色々勉強になってます。

ほとんどの人は着物っていうのはわかってもらえてるんです。それで「私着物大好き!」ってな感じで色々質問してくださります。質問がトンチンカンだとしても、たくさんの方に着物や日本が大好きと言ってもらえてここで着物屋をやっていてつくづく幸せだなぁと思います。 ほとんどの方は着物は家のナイトローブに、帯は部屋の飾りとして買っていかれるので、まぁ郷に入っては郷に従えでこの国なりのやり方で着物を楽しんでいただければ嬉しいと思っております。

やはり自分の国のものにちょとでも興味を持ってもらえたり「美しい」と言っていただけるのは本当に日本人として嬉しいですね。

そんな中で、 実はちょっとどころか最強に着物のことを美しい!と知ってくださってる、しかもそれをどんどんいろんな国に発信してくださってる最強な人たちがいるんです!

そんなすごい方々を今日は紹介したいと思います。

まずはAnji、日本在住ドイツ人

彼女のインスタをまず見てもらいたい!

https://www.instagram.com/salztokyo/

彼女のすごいところは日本人の現代の保守的な着物のやり方もちゃんとわかってるけど、海外からアンジーの着物スタイリングを求めてやって来る人にもちゃんとオリジナリティー溢れる表現が出来てる事。海外から来られる方って普段日本で着物を着てる人からすればあり得へん要望って事もたくさん起こるはず。でもその中で柔軟に対応しながらちゃんと彼女のスタイリングの特色を出してるところ。これって実はメチャクチャむずかしいんだよ!

次にSheila、日本在住イギリス人の着物研究家です。

https://www.instagram.com/kimonosheila/

まず彼女の着物文化の知識は半端ではない。本も出版されて日本 で講義もされています。

とにかく知識が半端じゃないです!!

こちらはシエラ自身のスタイリング本、サインもらっちゃった🎶

着物の知識がありすぎる着物愛好家は割と守りに入る着こなし傾向にありますが、彼女は絶対守りに入らない!それどころか新しい事にどんどんチャレンジしていってる。ずっと攻め続けている!私より年上だけどとってもチャーミングで着物の着姿も可愛い。

彼女の持っているそのアートセンスは日本とイギリスで培われたものなのでしょうか?

次にBilly、日本在住のドイツ人です。

https://www.instagram.com/biriinyan/

チェックしてもらいたいのは彼女のYoutube チャンネル。

https://www.youtube.com/c/BillyMatsunaga/featured

着物の知識を英語でも日本語でもとってもわかりやすく創意工夫にあふれた形で紹介してくださってます。 日本語の着物チャンネルで詳しい着物情報が学べるものは数あれど、着物の決まりと現代アレンジをここまで分かっていながら、こんなにも詳しく情報を日本語と英語で紹介しているのは彼女のチャンネルだけではないだろうか?

全て役に立つ情報ばかりです。

日本人で着物好きさんだったら彼女の英語動画見たら絶対英語も勉強できやすいと思うので是非英語勉強にもなるこのチャンネル見てください!

そしてイギリス在住のイギリス人Tia

https://www.instagram.com/tia_oguri/

個人的に黒人の方の着物姿を見るのが大好きな私なので、彼女のスタイリングと着物姿を見るのをいつも楽しみにしています。

最近発表された彼女の浴衣コレクションも彼女の独自性がそのまま生かされててすごい素敵なんです!

https://www.instagram.com/uberdandykimono/

彼女のバックグラウンドから影響された独自性溢れるクリエーションとクールなAttitudeが見事にマリアージュしてて彼女にしか創ることの出来ない世界観。クロスカルチャーファッションとは正にこのことだ!と思い知らされます。彼女の最近の浴衣コレクションUber Dandy Kimonoも要チェックです!

そしてポーランド在住Anna、

https://www.instagram.com/kimonoteka/

ポーランド語での着物本も出されています。

本出すまでに研究したことは数知れずだっただろうなぁ・・。

ちなみにBilly のyoutube チャンネルにこの前 Tia とAnneと私とBillyでイギリス、ポーランド、日本、オーストラリアを結んで生中継でライブトークをやらせていただきました。すごい時代になりましたね。

この素晴らしい方々全てに思うのは、きっと私のようなただ普通に日本で産まれちゃった日本人よりも人一倍いろんな努力をしたり、どーでも良いような誤解に苦労したり、思いもよらない見当違いなコメントなども沢山受けてきたのではないかと思うのです。

逆を言えヨーロッパで活躍してる日本人ソムリエさんがいたとして、文化の違う場所で頑張るためにはヨーロッパ人以上の努力をしないと周りに認められないと思うですよね。多分「お前には俺らの文化はわからない!」なんて言われたら私はそんなことはない、この人はその分努力してるんだ!って思ってしまうわけですよ。

私は日本人でなければ着物の事理解できないなんて1ミリも思わないし、彼女たちの努力と前向きな姿勢には本当に頭の下がる思いです。

あと私の個人的に思うところのある

「文化の盗用(Cultunal appropriation )」という言葉ね。

私は洋服を着ていて「他の文化の盗用するな」と言われた事がない。日本人以外の人が着物を着て文化の盗用と言われるなら私のような者が洋服を着ていても「文化の盗用」になるのではないか?それとも洋服だけが許可のいらない特別な衣服で他のものが違うというのなら、その考えこそが差別ではないか?と思ってしまうわけです。

どんな衣服でもそりゃ服装のマナーやドレスコードはあります。それはその場所に応じた適切な格好をするという事であって「どの国の誰が」というのはまた別の話だと思うんです。それ以上にその文化に敬意を示してくださって発信してくださってる面に目を向けたい!

私は素晴らしい着物文化を紹介してくださってるこの方々にありがとうと言いたいです。

ありがとーーーーー!!!

という訳で、外でも内でも着物は着物でした。

恋と愛は似て非なるもの

恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの。

大好きな美輪明宏さんの名言です。

言い換えれば恋とは「エゴ」、愛とは「思いやり」なのではないか?

と、前々からサラちゃんは思うとるわけでございます。

恋とは自分自身のエゴとの戦い、相手が思うように振り向いてくれない、違う異性と楽しそうに話しているのを見て感じる嫉妬・・。全て自分の期待するように相手が動いてくれない事への苛立ちと自己嫌悪の連続。それはそれは非効率的でとても苦しいものです。

だからと言って恋はするべきではないのでしょうか?

いやいや、苦しくもあるが恋に溺れる時こその美しさ、そこにある感動は本当に恋した事がある人にしかわかりません。めんどくさく全く効率の良くない事ばかりですが、それを経験した事のある人にしか分からない美しい感動がそこにあるのです。

まぁ前置きは長くなってしまいましたが着物もそうです。

私も着物に恋心を抱く前は、「あんな高いだけで効率の悪い衣服、着る意味が全く分からんわ。」と思っていました。

でも着物のキューピットは突然私の胸に矢を放って来たのです。関心度0から100に急に変わったのです。まさに恋に落ちる瞬間と同じです。そこから0から着方を学んで「着こなし」を学び それはそれは現代の洋服に比べて効率の悪い事ばかりですがその効率の悪さすらも美しく思えてしまう恋の魔力!

そこから20年経ちますが、今は恋と愛の狭間、まさに「恋愛中」です。

自分で絶対に纏いたい着物、私でなくてもいいから似合う美しい人に着てもらって幸せになってほしい着物、沢山あります。

でも私は全く着物に関心のない人に無理やり着物の良さを押し付ける気はないです。洋服が大好きだった私だから洋服でいいわ!って気持ちもすごいわかります、

さらにはもっと着物を着ている人を増やしたい!とも思っていません。 そんなことをしなくても素敵なものはいつの世の残るし、無理やりなこじつけの伝統はいつか自然に廃れるものです。

でも着たい!と思ってくれてる人には私のできる限りのお手伝いはしたいなといつも思っております。

私はまだまだ未熟で無知ですが、海外での苦労、お金がない時の苦労(今もあんまり無いけど)、ジロジロ見られる苦労(?)

私の自身に起こった経験からの乗り越え方は色々培って来たのではないかな?と思っています。

そんなこんなでこれからもインスタやブログを使って私の着物恋愛トークをぼちぼちとしていきたいと思います。

最後にもう1つ名言で今回の締めくくりにしたいと思います。

 

恋愛はチャンスではないと思う。

私はそれを意思だと思う。

ー 太宰 治 ー

 

なんでサラちゃんなの?

突然ですが私のSala Okabeというのはビジネス名です。

本名はオカベ マリと言います。

全然違います。

なのでメルボルに住んでいる私の友人には「マリ」と呼ぶ人と「サラ」と呼ぶ人2種類おられるので時々困惑されます。私的にはどっちで呼ばれようと構わんのですが、最近はサラちゃんの方がメジャーになって来たかな?と思います。

で、なんで名前を変えたのか?ってとこなんです。

私も出来るの事なら本名オカベ・マリで行きたかったのですが、ちょっと問題がありました。

15年前私は大阪に住んでいたんですが、その頃自己紹介をするたびに「ぷぷっ」と笑われていたのです。

そう、その当時大阪で絶大な人気番組「探偵ナイトスクープ」の秘書を務めておられる方が岡部まりさんでした。

当時の探偵ナイトスクープ様より

なので病院に行って待合室で看護婦さんに「オカベ、オカベマリさん」なんて呼ばれようもんなら全員こちらを振り返る始末です。「中森、中森明菜さん」って呼ばれているようなもんです。

その振り返った方が私を見たときのがっかりした顔と言ったら・・。

そんなこんなでビジネスをスタートしようとなって自分のウェブサイトを作ろうと思ってネットで「オカベマリ」を検索したら出るわ出るわ探偵ナイトスクープ&岡部まりのオンパレード・・。

こんな中で私の名前を出したとしても検索のトップに上がってくるはずも、検索したい人が名前を入れて見つかりやすいはずもない!こんなところで「秘書・岡部まり」と張り合っててもしょうがない!と思い独自のビジネス名をつけることにしました。

もともと他の着物サイトを運営してた時もSalaは使っていたのですが、それをただ持って来てSala Okabe。

この名前の重要なところは名前に「L」が使われている事です。日本名のサラを英語表記する時、普通SARAで「R」になります。 なのでLが使われることは殆どない。私の名前をググった時にトップに来やすい。サイトを間違える可能性もぐっと減ります。だからと言ってまりで「Mali」にするとなんか名前っぽくないから却下でした。

あとに日本人にも外国人にも呼びやすく簡単な名前、Lがついているからと言ってLinda(リンダ)とかはこっぱずかしいし・・。

あとはどこか和服に関係したものの感じのサウンド「更紗(さらさ)」のサウンドも入れてSalaしました。

なのでいわゆるSEO対策ってやつです。

ただそれだけのお知らせでした。

タモリ倶楽部的な着物教室にはまっております。

メルボルンはロックダウンが絶好調に行われております!引きこもり生活第2ラウンドでございます。

最近過去最高にコロナの新規感染者が出ておりまして、今週から外出時のマスク着用が義務付けられるようになりました。違反したら$200ドル(1万5千円くらい?)の罰金・・おおう・・まさにNO MASK NO MONEY!

元々マスクを日常に全く着用しないお国柄でして、去年の今頃は花粉症などでマスクなんてして出かけようものなら、ばい菌を見るような目でギョッとされたのですが、この数カ月で世の中はすっかり変わってしまいました。

どのくらいのレベルで変わったかとたとえ話で説明しますと、日常の生活の中であまり外出時にサングラスをかけない日本人、常にかけてる人を見たら「あの人めっちゃカッコつけてるか芸能人かなんかかな?」とちょっと異様な目で見られていたのがいきなり数ヶ月後にはサングラス着用義務がお上から出て、外出したらみんながサングラス、サングラスしてないと冷たい視線を感じる・・「いやいや、ちょっと前までみんなおかしいって思ってたやん!」てな感じの異様な光景です。

さてさて、そんな中、私も仕事がまともに出来ない感じですが、それをいい口実に毎日楽しく遊んでおります。

遊んでいると言ってもトルソーちゃんに着付けしたり自分で着物を取っ替え引っ替え着て見たりと見た目には仕事してた時とあんまり変わらないという・・。

ただお客様の為に着付け考えてるか(仕事)自分の自己満足の為に着付けしてるか(遊び)その違いだけで、結局暇さえあれば着物を引っ張り出して来て色々なんかしております。1日着物とカメラ遊びに明け暮れていられたらどんなに楽しいか・・(いや、仕事でもやっとるやんけ・・)

てな感じで、このロックダウンでハマってることは「歴史着付け」でございます。

歴史着付けと言ってもこのような太秦映画村的な着付けでなく、

太秦映画村さんの変身体験

大正から昭和初期くらいの一般のご婦人達が着ていたような着物スタイルを探求して、実際やってみて、ただ1人でニヤニヤするという誰のなんの役にも立たない着付けなんですが、

「昭和モダンキモノ」より

この私のツボる世界に精通している最強ヲタ先生をインスタで見つけてしまいまして、

https://mayunabeeee.com

ブログを拝見させていただいたらトップからこれでお出迎えですよ。

もう私の心はノックアウトです。

私のタモリ倶楽部的な「どーでもいい事に無茶苦茶のめり込む精神」がここからもう燃え上がります。

いやぁ良い時代になりましたね、オンラインでこんな素敵な講座が世界のどこにいても受けられるなんて、しかもお値段も超良心的。

今まで3講座コンプリートで受けさせていただきました。

「元祖お太鼓講座」「帯板・帯枕講座」「昭和初期の奥様の着付け方講座」

感想を言わせていただくと、いやぁもう・・

本当にどーでもいい!笑 

現代の着付けからしたら本当にどーでもいい事!

しかし個人的に絶賛感動中という内容になっておりました。笑

というのも、現代の着物というものの形が完成されたのが大体江戸の後期くらいでして、(それ以前は和服は色々形変わってるんですよ)そっから現在令和まで「着付けの流行」という形でスタイルの変化があったんです。昭和初期から昭和中期、今とでは着付けの流行が全然違うんです。和服というのは洋服と違い、とても二次元な衣服でありまして、着せる人、もしくは着る人がその形を作っていくんですね。着る時がパターン作りの役割をしているんです。帯が特にわかりやすいですね、

Sala ちゃんのアレンジ帯集

もともとただの一反木綿の帯がいろんな形にアレンジされていく。着物も着る時点で好きな形を作っていくんです。まさに「着る折り紙」なんです!

その中で私が一番好きなのが大正から昭和初期1910〜1920年頃にかけての着付けなんですが、何ていうか、もったりと、ふっくらと、優雅で女性の美しさを存分に引き出したそれはそれは美しい着付けなんですけど、現代の着物でそれをやってもあんまり美しく見えないのは今の着物のデザインは今の着付けが美しく見えるように出来ているからでしょうかね。

でもこの教えていただいた着付けでアンティーク着物を着ると、私の大好きな形に着付けが決まるんですよ!衿も無理やり出さなくてもゆったりと、おはしょりもあまりぴっちりする事なくもったりと体に沿うような着付け・・。

丸帯で元祖お太鼓結びをしてみました。

なんかちょっとこんな時代に近づいて来たかな?

画像:岸和田市立図書館様より拝借

ちなみにですが、この女性は黒紋付に襲着てますね。あの今でいう喪服って呼ばれるやつです。ほんとは黒紋付この女性のように襲を下に着て(もしくは比翼仕立てで)慶の席にも着られる着物なんですよ!私はいつかこれがやりたいのだ!

あとは教えていただいた「あの」衿芯さえあれば衿のゆったりカーブも完璧だわ!

せっかくなので家にあったアンティーク黒留を着てみたのですが、長着の中に着る襲(昔は着物を2枚重ねて着ていました)が倉庫にある事に気づいて、こんな私の自己満足の着物遊びなど、不要不急以外の何ものでもないので、襲を取りに行けずでとりあず1枚だけの長着で丸帯を元祖お太鼓にしてみました。黒留のお引きずりで着ていた頃のなのでかなり上まで柄があっておはしょり作ったら上が切れてしまいました!

でもこれこれー!私の理想の着付けスタイル。「アンティークにはこのスタイルが一番美しく見えるわー。」と勝手に自己満足に浸って潰れて夕日が沈んで失った事に気付く貴重な半日の時間・・。

着付け教室というものが確立される前のご婦人たちの着付けはそれはそれは優雅で自由で遊び心に満ち溢れているように思えます。

だってただの「着るもの」ですよ。そこに自分なりのおしゃれ心を盛り込むのは当然のこと。

いつの時代も女はその当時の流行を交えながら自分のおしゃれを楽しむのよね。

呼ばれるか呼ばれないかも定かでない、甥っ子と姪っ子と自分の娘と息子のあるかないかもわからない結婚式のために着ようと思っているアンティーク黒留袖やら色留袖やらが溜まって着ております。 溜まりに溜まって来て、私も花嫁に合わせてお色直しをしないと間に合わないかもしれません。

そんな時代を超えた着物ヲタワールド、ぜひ体験してみてください。

あ、ちなみにお洋服はこんな感じの50年代スタイルが一番好きです!

味噌汁を味わうように和服を着るのだ。

今までにこんな経験は無いでしょうか?

待ちに待った1週間のフランス旅行。パリのレストランやカフェを廻ってグルメツアー。最初の1、2日目、パンやチーズのおいしさに「やっぱりヨーロッパだよね」と感激。

しかし1週間も経つ頃、毎日食べる外国っぽい味ざんまいで胃袋ちょっとお疲れ気味で帰国。日本の自宅に帰ってき久しぶりに食べる炊き立てのご飯とお味噌汁の味。体中に染み渡る出汁の味・・・。「あー!日本人で良かった」と思うまさに至福の瞬間。

実はこれ、「食」だけでなく「衣」でも起こりうることなんですね。

それが日本人における着物なんだと思います。

自分にその瞬間が訪れたのは忘れもしない24歳の時でした。


10代の頃まではアメリカの50‘sファッションやカルチャーが大好きで、その50’sの音楽の影響も受け、当時そのシーンが盛り上がっていたはロンドンに19歳の頃遊び半分、英語半分で留学していました。

ロンドンの50‘sシーンのファッションはめちゃめちゃカッコよく、クラブで盛り上がっている50’sスタイルのファッションに身を包んだイギリス人の女の子達はまるで映画のワンシーンを見ているようでした。私も少ない小遣いを貯めて古着屋さんを巡り同じようなファッション真似しましたが、どう頑張っても彼女たちのように可愛くなるには程遠い感じでした。

不完全燃焼のまま月日が経って日本に帰国し数年日本で働いた後会社を辞め、3ヶ月アジアを放浪する事になりました。

インド放浪している途中ガンジス川のほとりで見た川で洗濯する女性たち。朝日に照らされて彼女達が着ているサリーはキラキラと輝いているようでした。

お世辞にも裕福と言えない彼女たちの衣装でしたが、その美しいインドの光景と重なって、これほどまでに民族衣装と言うものはその土地の女性を美しく見せるのかと感動したものです。その瞬間全く予想をしていなかった考えが頭をよぎりました。

その5秒前まで全く興味が無かった自分の国の民族衣装。着物が着てみたい!と。

日本に帰ってくるやいなや、何も知識がないのに呉服屋さんに飛び込み、とりあえず店頭のワゴンに入っていた居酒屋のスタッフが着ているような2部式の着物をこれなら自分で着られるだろうと買い、家に帰り試着。2部式着物はラップスカートと上が紐で縛るだけのカーディガンのようなものなので誰にでもすぐ着られます。

お世辞にも素敵な気姿とは言えなかったと思いますが、その瞬間に海外旅行後の炊きたてご飯と味噌汁を口にしたときのような遺伝子レベルで染み込む感覚。

体になじむ不思議な感じ。これ絶対日本人の私に似合わない筈が無い!と思った瞬間でした。

今まで50年代のアメリカンファッションが好きだった私は、どうあがいてもドレスは私の体になじまないと言う悩みを持っていましたがそれを一気に克服した気分でした。

そこからあの時代はyoutubeもなかったので近所の教室で基本的な着付けを習い、何とかそこからも独学で練習して自分で着られるようになり、たくさんの買い物の失敗しながらも、だんだんと自分のスタイルと言うものが分かってきました。やはりアメリカの50年代のファッションやデザインが好きなのは今でも変わりませんが、着物をベースとしてその上に自分の好きなデザインを盛り込むことによって、等身大でありながらも自分の憧れるスタイルに持っていくという技も学びました。自分の好きなスタイルでいながらも着物を着こなす事は可能なんです。

今世では残念ながら憧れのグウェン・ステファニーみたいなルックスで産まれなかったけど、日本人として生まれ持った自分の土台の中でどう勝負するか、何が似合うのかを考えるようになりました。

今までディスアドバンテージだと思ってた背が低くフラットな体のライン、手足が短く胸やお尻が出ていない洋服の時のコンプレスクスだった要素が基本的には着物では全部アドバンテージであることもわかりました。

自分のありのままの体つきをアドバンテージにしながらも好きなデザインを着られる、そうやって私の着物好きはどんどん拍車がかかって行きました。

2002年には着物界のルネッサンス的事件Kimono道(現在Kimono anne)発行。まさに夢のような世界観・・。アァ、好きな着物を好きなように着ていいんだ!もうこの本に後押しされて着物が大好きになった女子も多いと思います。この辺からはもう私はこの沼から出ることは出来ないと確信しました。

それから約20年余りが経ち、オーストラリアに拠点を移動しましたが、今でも炊きたてご飯と味噌汁を食べるように着物を楽しんでいます。

体にまとって感じる「あー日本人でよかった」感。いつか皆さんも体験してもらいたいなぁ・・。